2021.03.10 13:31Nation

「いつも心に雄勝の海」 兄姉、生家奪われても―被災者に笑い届け・宮城の男性

 カモメだけが鳴いていた。人の声も、引き戸や炊事の音も消え、異様な静けさが広がった町。宮城県石巻市雄勝町で生まれ育った山崎孜さん(79)は、東日本大震災から4日後の2011年3月15日、仙台市からたどり着いた故郷の風景に、ぼうぜんと立ち尽くした。
 あれから10年。かさ上げされた土地に人家はまばらで、雄勝湾奥部には高さ9.7メートルの防潮堤がそそり立つ。町並みはがらりと変わった。それでも山崎さんは「山や海がある限り、私のふるさと。疲れた時は海を見に来ますよ」と穏やかに語る。
 津波で兄の浩さん=当時(74)=と姉の律子さん=同(87)=を亡くし、13歳年上の姉勢子さんの行方は分からないままだ。山崎さんは「他のみんながあまりに悲惨な状況で、なぜか悲しみが湧いてこなかった」と振り返る。
 9人きょうだいだった。「仲が良く、盆正月は必ず集まった。当時の家の夢をやたらと見るよ」。今はもうない雄勝石のスレート屋根の生家での日々を思い出す。雄勝に残り、実家を守っていた浩さん。震災2日前の地震で20センチの津波しか来なかったことが、兄の判断を鈍らせ逃げ遅れたのではないかと想像する。
 山崎さんは中学卒業後、地元を離れ仙台市で仕事を続けてきた。退職後の05年7月から、「あっぺとっぺの助」の芸名で、高齢者施設などを回り、歌や踊り、軽快なトークで笑いを誘うボランティア活動を始めた。客の笑顔に、やりがいを感じていた時、震災が起きた。
 「笑いなんて、もうできないな」。自然とそう感じた。しかし、震災から半年がたとうとする頃、市内の避難所で演芸を披露してほしいと依頼が来た。散々迷った末に引き受け、活動を再開する覚悟が決まった。避難者の表情の変化に、「みんな笑いたかったんだ」と気付かされたという。
 今年は新型コロナウイルスの影響でかなわなかったが、6年連続で新春公演を雄勝で行い、初笑いを届けてきた。「(ボランティアら)地元とつながりの無かった人たちも良くしてくれるのを見て、より思いは強くなった」と山崎さん。
 音楽を鳴らして港に戻った船に群がるカモメや、捕れた魚を船から投げるご機嫌な漁師。大漁に沸き返ったかつての日々は、コンクリートの壁の向こうに消えた。変わりゆく風景を「しょうがないんだ」と複雑な思いで見守っている。(2021/03/10-13:31)

2021.03.10 13:31Nation

10 Years On: Despite Tsunami Disaster, Man Still Cares for Hometown Sea


Except for the call of seagulls, an eerie silence was settling on his tsunami-engulfed hometown on Japan's northeastern Pacific coast.
   No human voices. No noise of doors being opened or closed. No sounds from kitchen in homes.
   Tsutomu Yamazaki was dazed at the sight of the Ogatsu district of Ishinomaki, a port city in Miyagi Prefecture, when he arrived back from the prefectural capital of Sendai four days after the March 11, 2011, earthquake and tsunami.
   A decade later, the district's landscape is totally different, reflecting infrastructure improvements. Elevated land is sparsely dotted with houses, while a 9.7-meter-high sea embankment stands at the innermost section of Ogatsu Bay.
   Yamazaki lost his elder brother Hiroshi, then 74, and elder sister Ritsuko, then 87, to the tsunami. His sister Seiko, 13 years older than him, remains missing.

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