2021.11.02
スポーツ
【冬季五輪】「銀盤の記憶」男子フィギュアスケート (24/30)
2002年 ソルトレークシティー冬季五輪 本田武史(法大)は惜しくもメダルを逃した【時事通信社】 ショートプログラムで2位につけた本田は日本男子初のメダルへ、絶好のチャンスをつかんでいた。3、4位で続くゲーブル、プルシェンコとの力関係から見ればメダルへの道は、本田がベストに近い演技をして、ゲーブルの逆転を阻めるかにかかっていた。 リンクに登場した本田は「緊張はなかった」と振り返った。だが、目に見えない重圧があったのだろう。最初の3回転フリップを決めたが、その後の3回転サルコウでステップアウト。次の4回転―3回転のコンビネーションジャンプを3回転―2回転にしてしまった。 中盤は確実なジャンプを決めたが、「最初の失敗で、あとは上位に入ろうと思いながらやった」と打ち明けた。自分から勝負をあきらめ、守りの演技に入ってしまった。「うれしさもあるけど、もったいないという感じが強い」と首をひねったように、悔いは色濃く残った。 メダルにあと一歩の4位入賞。日本男子でこれまで、だれも届かなかった順位だ。しかし、本来持っている力を考えれば、「チャレンジ精神が足りなかった」(城田憲子フィギュア監督)と指摘されても仕方がない。 毎年開催される世界選手権とは違い、五輪にはすべての選手がしっかりと照準を絞って臨んできている。「全体的に悪くはない」(本田)だけでは、メダルに届かないと分かったことは、今後に向けた最大の収穫だろう。(2002年02月14日)