亡き妹へ「今、幸せ」=復興のヒマワリ、重荷にも―母となった語り部女性―阪神大震災30年
「今、幸せだよと伝えたい」。神戸市の介護職、菊地いつかさん(45)は、30年前の阪神大震災で小学6年の妹加藤はるかさん=当時(11)=を亡くした。突然妹を失い、心身の不調に悩まされる中、自宅跡地に咲いたヒマワリは慰霊と復興の象徴として全国に広まった。それを重荷に感じたこともあったが、母となった現在、震災を知らない世代へ経験を伝えようと語り部を続ける。
中学3年だった菊地さんは同市東灘区にあった自宅2階で就寝中に被災した。倒れてきたたんすを押しのけて1階に下りようとしたが、階段が見当たらずベランダから外へ。「何が起きたか分からなかった」。振り返ると妹が寝ていた1階部分は押しつぶされていた。
口が達者でけんかもよくした活発な妹。遺体安置所で目にした全身あざだらけの姿に、「誰なんやろ。怖い」。実感はまったく湧かなかった。
高校進学後も、母は仏壇の前でいつまでも泣いていた。学年が上がり進路を相談したくても向き合ってもらえず、「私を見てほしいと、死んだ妹に嫉妬した」。リストカットを繰り返し、精神安定剤を飲むようになった。
更地になった自宅跡から目を背けて通学していた高1の夏、妹の同級生の父親に「はるかちゃんのヒマワリが咲いている」と教わった。隣の夫婦が飼っていたオウムに与えていた種が育ったのか、黄色い花が咲いていた。
近所の人たちが種を集め更地だらけの町にまき始めた。地元商店街の人も加わって次第に範囲が広がり、やがて中越地震や東日本大震災など、日本中で災害復興の象徴となった。絵本や教科書の題材に採り上げられ、平成最後の歌会始の儀では上皇さまの歌に詠まれた。
知らないところで話が大きくなり、ヒマワリを見るのがつらい時期もあったが、復興イベントで他の遺族の話を聞くうちに、次第に自分の話もできるように。突然妹を失った体験を基に、「今を大事に、身近な人を大事に」と学校などで伝える語り部活動をしている。
30年たっても当時の記憶がフラッシュバックして眠れないことがある。だが、結婚して娘を授かり、気持ちの落としどころが分かってきた。「自分の子が先に死ぬなんて耐えられない。何かあれば全力で守る」。涙に暮れていた母の気持ちが今なら分かる気がする。
毎年1月は、はるかさんの銘板がある市内の追悼施設を訪れており、16日も長女の良ちゃん(6)を連れて銘板に声を掛けた。4月から小学生となる娘に、あの日をどう伝えるかまだ悩んでいるが、まずは「『おばちゃん』のヒマワリの種を一緒に植えたい」と話した。
[時事通信社]
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