2012.01.01 スポーツ

【日本ゴルフ界のドン】杉原輝雄 (2/14)

28日死去した杉原輝雄さんが、トーナメント会場で前立腺がんにかかっているをことを告白したのは、1998年4月だった。「仮に命を縮めるとしても、第一線で納得するまでやりたい。手術はしない」 手術を受けて復帰を目指す道もあった。だが、当時60歳の杉原さんは「自分には時間がない」として、病気の進行を抑える女性ホルモンの投与も、その時はしていなかった。「今のゴルフ界では飛距離を出さないと勝負にならない」。筋力の低下を恐れてのことだった。 小学生の時にキャディーのアルバイトをしたのがゴルフと出合ったきっかけ。57年にプロ転向し、体格には恵まれなかったが、猛練習で技術を磨き、62年の日本オープンで初優勝。70年代には青木功、尾崎将司らと共にゴルフ界を盛り上げた。長く一線で活躍し続け、プロ通算で63回もの勝利を積み重ねた。 60歳近くになってからも加圧トレーニングで筋力強化を図り、長尺ドライバーで飛距離不足を補った。2006年4月のつるやオープンでは、68歳10カ月でツアーの予選を通過。01年3月の静岡オープン以来、実に5年ぶりだった。その後は予選突破を果たせなかったとはいえ、ゴルフに全力を尽くし、生涯現役を貫いた。ゴルフに取り組む姿勢やプレー中のマナーを若手に示しながら、70歳を過ぎてなお、シニアよりもレギュラーツアーにこだわった。 2010年の中日クラウンズの15番でティーショットを放つ杉原輝雄さん。アーノルド・パーマー(米国)を抜き、同一大会51回連続出場の世界記録を達成した=愛知・名古屋GC和合C(2010年04月29日) 【時事通信社】

【日本ゴルフ界のドン】杉原輝雄