2020.03.06 09:06World eye
医師は死の危険と隣り合わせ…今も続く中絶問題 米国
【ワシントンAFP=時事】中絶手術を施していたジョージ・ティラー医師は2009年、米カンザス州の教会で反中絶過激派によって射殺された。ティラー氏と共に7年間働いていたジュリー・バークハート氏(53)はそれ以来、ティラー氏の後を継いでいる。「私は一度も後悔していない。なぜならやるべきことをやったからだ」とバークハート氏は語る。(写真は米カンザス州ウィチタの教会から運び出される、ジョージ・ティラー氏のひつぎ)
米中西部や南部では社会に宗教右派が深く根付いており、医師や看護師、診療所の経営者らは日々苦労して中絶手術を行っている。
米最高裁で4日、中絶規制をめぐる審理が開始した。
中絶手術を施している複数の医師は影響を恐れ、AFPの取材を断った。だが、バークハート氏は違った。
もちろんバークハート氏も、ティラー氏殺害後は自分の身だけではなく、家族や職員の身の安全も常に考えている。
ティラー氏は後期中絶を行う数少ない産婦人科医の一人だった。1993年にも殺されかけたことがあり、その後は防弾ベストを着用していた。だが、まだ生まれていない子どもを守りたいと主張する男に頭部を撃たれて亡くなった。
ティラー氏の死は、残酷な現実を映し出していた。
ティラー氏殺害に対しては、中絶反対派からも厳しい非難の声が上がったが、襲撃は続いた。2015年には、コロラド州コロラドスプリングズにある医療施設で新たに3人が殺された。1973年に米国で中絶が合法化されて以来、中絶反対派によって殺害された人の数は11人に上っている。
全米妊娠中絶連合によるとさらに過去数十年で、26件の殺人未遂、42件の爆弾攻撃があった他、複数の医療施設で300回以上の不法侵入が発生している。
夫を失ったティラー氏の妻は、カンザス州ウィチタにあった診療所を売却した。「責めることはできない」と、2001年から09年までティラー氏の広報担当でありロビー活動を行っていたバークハート氏は言う。「しかし、そのような決断がされたすぐ後に、私たちは診療所が再開されるべきだと思った」
■おじけづく医師ら
バークハート氏は「多分この地域の医師の誰かが一歩踏み出して、やってくれると思って待った」と話す。だが、誰もいなかったため「使命感」を覚えたという。「トラスト・ウィメン・ファンデーション」を設立し、診療所を買い戻し、カンザス州に隣接するオクラホマ州に2軒目を開院した。
バークハート氏はこの10年、殺害予告を受けたり、診療所に押し入られたり、自宅前で抗議活動をされたりした。ある時には、10代の娘を学校に送るためだけにボディーガードを雇わなければならないこともあった。
これらすべてが、地元の医師をおじけづかせた。バークハート氏は今、先進的医師が多い東海岸や西海岸から呼び寄せている。
バークハート氏によると、地元の医師らは身の安全という問題以上に、他の医師に追放されたり、免許を失ったり、解雇されたりすることを恐れているという。また、資金という別の障害もある。銀行は、ティラー氏が診療所を再開するための資金を貸し出すことを拒否したのだ。バークハート氏は「寄付を募らなければならなかった」と語った。
さらに社会的圧力も多い。「孤立しているように感じる。誰も、私のような中絶をしている人間とはかかわりあいたくないのだ」とバークハート氏は述べた。【翻訳編集AFPBBNews】
〔AFP=時事〕(2020/03/06-09:06)
米中西部や南部では社会に宗教右派が深く根付いており、医師や看護師、診療所の経営者らは日々苦労して中絶手術を行っている。
米最高裁で4日、中絶規制をめぐる審理が開始した。
中絶手術を施している複数の医師は影響を恐れ、AFPの取材を断った。だが、バークハート氏は違った。
もちろんバークハート氏も、ティラー氏殺害後は自分の身だけではなく、家族や職員の身の安全も常に考えている。
ティラー氏は後期中絶を行う数少ない産婦人科医の一人だった。1993年にも殺されかけたことがあり、その後は防弾ベストを着用していた。だが、まだ生まれていない子どもを守りたいと主張する男に頭部を撃たれて亡くなった。
ティラー氏の死は、残酷な現実を映し出していた。
ティラー氏殺害に対しては、中絶反対派からも厳しい非難の声が上がったが、襲撃は続いた。2015年には、コロラド州コロラドスプリングズにある医療施設で新たに3人が殺された。1973年に米国で中絶が合法化されて以来、中絶反対派によって殺害された人の数は11人に上っている。
全米妊娠中絶連合によるとさらに過去数十年で、26件の殺人未遂、42件の爆弾攻撃があった他、複数の医療施設で300回以上の不法侵入が発生している。
夫を失ったティラー氏の妻は、カンザス州ウィチタにあった診療所を売却した。「責めることはできない」と、2001年から09年までティラー氏の広報担当でありロビー活動を行っていたバークハート氏は言う。「しかし、そのような決断がされたすぐ後に、私たちは診療所が再開されるべきだと思った」
■おじけづく医師ら
バークハート氏は「多分この地域の医師の誰かが一歩踏み出して、やってくれると思って待った」と話す。だが、誰もいなかったため「使命感」を覚えたという。「トラスト・ウィメン・ファンデーション」を設立し、診療所を買い戻し、カンザス州に隣接するオクラホマ州に2軒目を開院した。
バークハート氏はこの10年、殺害予告を受けたり、診療所に押し入られたり、自宅前で抗議活動をされたりした。ある時には、10代の娘を学校に送るためだけにボディーガードを雇わなければならないこともあった。
これらすべてが、地元の医師をおじけづかせた。バークハート氏は今、先進的医師が多い東海岸や西海岸から呼び寄せている。
バークハート氏によると、地元の医師らは身の安全という問題以上に、他の医師に追放されたり、免許を失ったり、解雇されたりすることを恐れているという。また、資金という別の障害もある。銀行は、ティラー氏が診療所を再開するための資金を貸し出すことを拒否したのだ。バークハート氏は「寄付を募らなければならなかった」と語った。
さらに社会的圧力も多い。「孤立しているように感じる。誰も、私のような中絶をしている人間とはかかわりあいたくないのだ」とバークハート氏は述べた。【翻訳編集AFPBBNews】
〔AFP=時事〕(2020/03/06-09:06)
2020.03.06 09:06World eye
The pressure of daily life for US abortion providers
For seven years, Julie Burkhart worked alongside Dr. George Tiller until his death in 2009, when he was shot in a Kansas church by an anti-abortion extremist.
Since then, Burkhart has taken up the torch. I will never regret it, because it was the right thing to do, said the 53-year-old doctor, who has faced endless obstacles to her work, including death threats and protests outside her home.
Sometimes, no matter what the price is, you just have to do the right thing.
Doctors, nurses and clinic managers struggle daily like her to provide abortion access in the Midwestern and southern United States, where the religious right is deeply rooted in society.
The future of abortion will be up for debate before the US Supreme Court on Wednesday. Several abortion providers declined to comment to AFP for fear of potential consequences.
But not Julie Burkhart.
Even though, since Tiller's assassination, she has thought constantly about her own safety, and that of her family and staff.
After a murder attempt in 1993, Tiller -- one of the few gynecologists who performed late-term abortions -- began wearing a bulletproof vest. Often, he would have his bulletproof vest on his couch in his office. I think that I became desensitized to the level of risk, Burkhart said.
Tiller's death, from a gunshot to the head by a man claiming he wanted to save unborn children, was a brutal reality check.
The killing was sharply condemned, even in the anti-abortion community, but the attacks continued. Three more people were killed in 2015 in a Colorado Springs clinic, bringing the death toll from anti-abortion violence to 11 since the procedure was legalized in 1973.
Over those decades, there have also been 26 murder attempts, 42 bomb attacks and more than 300 burglaries at various clinics, according to the National Abortion Federation.
- 'A rollercoaster' -
After Tiller's death, his widow sold his Wichita clinic. My goodness, I can't blame her, said Burkhart, who worked as Tiller's spokeswoman and lobbyist from 2001 to 2009. But right after she had made that decision, I thought we had to reopen it.
I kept waiting for others to step up and do it, maybe a physician in the community, she said, adding that she also wanted to throw in the towel.
I felt like I was on a super fast rollercoaster.
When no one stepped up, Burkhart felt a sense of responsibility. She founded the Trust Women Foundation, bought back the Wichita clinic and opened a second one in neighboring Oklahoma.
In 10 years, she has had death threats, break-ins in the clinics and protests outside her house. At one point, the pressure was so high that she was forced to hire bodyguards just to take her teenage daughter to school.
All of this has frightened local doctors. Even those who worked with Tiller have refused to return. Today, Burkhart has to fly in doctors from other states, often from the typically more progressive east and west coasts.
- 'Isolating' -
Beyond security issues, local doctors are worried about being ostracized by their colleagues, losing their operating licenses in hospitals or being fired by their practices, Burkhart said.
Yet another obstacle is money: banks have refused to give her loans to reopen the Tiller clinic. We had to raise money from contributors, she explained.
As for state authorities, they have passed law after law, officially to protect the patients' health. In reality, though, the regulations have created so many obstacles that the number of abortion clinics in Kansas has dropped from 23 in 1980 to only four for the whole state. There are just six in Oklahoma.
There's also a lot of social pressure. It can feel rather isolating. People are not always wanting to associate with people like myself who provide abortion, confided Burkhart with a small sigh.
Depending on what group of people I am engaged with, I might not tell them everything about myself. I might shield myself from that so I don't have to worry about judgment.
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