教団一斉捜索、「後手になった」=着手2日前、想定外のテロ―垣見元警察庁刑事局長インタビュー・地下鉄サリン30年
1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件当時、刑事警察のトップにいた垣見隆元警察庁刑事局長(82)が取材に応じた。捜査の経緯を振り返るとともに、教団施設への一斉捜索直前、事件が発生したことについて「後手になった」と語った。
垣見元局長は93年9月、警察庁刑事局長に就任した。「当時、危険な団体との認識はなかった」という教団への見方を変えたのは、松本サリン事件から約2カ月後の94年8月。同事件を捜査する長野県警から「教団の関係企業がサリンの原材料を大量購入している」と報告があったのがきっかけだった。
同年11月には「サティアン」と呼ばれた教団施設が点在する山梨県旧上九一色村の土壌鑑定で、サリンの残留物質が検出された。「(教団が)サリンを持っているとすれば大変危険なこと。何とかしなきゃいけないとなった」。警察当局は強制捜査に向け、本格的な検討を始めた。
いつ、強制捜査に着手するか。緊張が高まる中、同年12月15日に警察庁長官や垣見元局長らが参加する幹部会議が開かれたが、時期は決まらなかった。「実態解明が不十分という結論だった」。さらに詰めの捜査が必要と考えた。
教団を巡っては当時、山梨、長野、宮崎、神奈川県警がそれぞれ事件を捜査していた。95年2月28日、東京都内で目黒公証役場事務長拉致事件が起き、首都警察として圧倒的マンパワーを誇る警視庁も捜査に乗り出した。
警察庁と警視庁は捜査の進め方を何度も協議し、上九一色村の教団施設などを3月22日に一斉捜索すると決めた。オウムがサリンで抵抗する可能性も考え、防護服調達などの準備も急いだ。
地下鉄サリン事件が起きたのは、捜索を2日後に控えた同月20日だった。発生直後の霞ケ関駅で地下鉄を降り、警察庁に出勤したという垣見元局長は、事件に強い衝撃を受け、「その日の記憶はほとんど残っていない」と話す。
「サリンがまかれたとすればオウムにやられたと思いました。こちらが攻撃されるとは想定していなかった。結果的には後手後手になった」
事件は防げなかったのか。垣見元局長は、当時は確実に証拠を固めた上で強制捜査に踏み切るという意識が強かったと指摘。「今考えれば、もうちょっと早い時期に先行的に捜索する選択肢はあったのではないか」と語る。
教団がサリンを製造、保有していると確実に裏付ける証拠がない中で、万が一、強制捜査が空振りに終われば、警察が大きな批判を浴びるのは確実だった。それでも「職を失うくらいの覚悟を固めれば、もっと早く捜索できたかもしれないとは思う」と振り返った。
[時事通信社]
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