「次は遺児支える側に」=母と妹2人亡くした新田さん―東日本大震災14年

東日本大震災で、母と2人の妹を亡くした新田佑さん(23)=東京都府中市=は当時、小学3年生だった。まだ言葉で感情をうまく表現できない年ごろだったが、通っていた遺児支援施設が思いを受け止めてくれた。「次は自分が遺児を支える側に」。将来への悩みを抱えながらも新たな一歩を踏み出そうとしている。
あの日、岩手県陸前高田市内の小学校で経験した揺れは今でも鮮明に覚えている。「みんな逃げろ!」。叫び声を聞き、校庭から高台へと向かった。まだ「津波」の意味を知らなかった。「なんで逃げるんだろう?」。不思議に思いながら上へ上へと走り続けた。
父貢さんとは、その後再会できたが、母牧恵さん=当時(36)=と妹の琳ちゃん=同(6)=、麗ちゃん=同(4)=が津波で犠牲になった。3人が亡くなった事実に実感を持てずにいたが、後日、きれいになって帰ってきた3人の遺体と対面し、初めて涙が流れたという。
父の勧めをきっかけに通い始めたのが、遺児支援に取り組む「あしなが育英会」の拠点施設「レインボーハウス」だった。ふらっと立ち寄っては自由に過ごし、そこにいたお兄さんやお姉さんたちに気持ちを受け止めてもらった。
昨年1月の能登半島地震後は何度も被災地へと足を運び、現地であしなが育英会の活動にも関わった。「『あなたにしかできないことをやりなさい』と、母が言った言葉がずっと記憶に残っている。だから少しでもできることはしたい気持ちがある」と打ち明ける。
今年1月には、神戸市で阪神大震災の遺児家庭らとの交流会に初めて参加し、結婚や子育ての話を聞いた。「これから歩む道の先にいる先輩たちの話を通して、将来への解像度が上がった」と話した。
新田さんは昨春、都内の大学を卒業し、現在は臨床心理士を目指して勉強を続けている。「親を亡くした遺児や、親子関係がうまくいっていない家族の支援がしたい」。レインボーハウスで過ごした日々を振り返り、そう力を込めた。

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