2024-06-27 00:26社会

「ただ息子を返して」=遺族、教団への憎しみ今も―松本サリン事件から30年

松本サリン事件で亡くなった小林豊さんのアルバムを見詰める母房枝さん=5月28日、静岡県掛川市
松本サリン事件で亡くなった小林豊さんのアルバムを見詰める母房枝さん=5月28日、静岡県掛川市

 オウム真理教による松本サリン事件から27日で30年となった。23歳だった会社員の息子を失った小林房枝さん(82)=静岡県掛川市=は「あっという間に過ぎてしまった」とつぶやく。教団の元幹部らに対し「ただ息子を返してよということだけ」と今も消えない憎しみをあらわにする。
 息子の豊さんは、明るく人懐っこい性格で友人も多く、何より努力家だった。中学生の頃、ソニーの携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」が欲しいという豊さんに「(学校の成績で)5番以内に入ったら買ってあげる」と冗談めいて言うと、その学期内に実現させた。
 豊さんは大学卒業後、東京の電機会社に就職。システムエンジニアになって2年目の1994年5月、電力装置設置のため長野県松本市へ長期出張した。「電力関連の仕事がしたい」と語っていた豊さんは仕事にやりがいを感じていた。
 房枝さんが事件を知ったのは同年6月28日午前4時すぎ。消防署から電話で「息子さんが危篤です」と突然知らされた。夫の巌さん(88)と豊さんの元へ急いだが、対面したときには息を引き取っていた。「もう(頭が)真っ白で涙も出なかった」。翌年の元日、教団施設があった山梨県上九一色村(当時)でサリン生成の際の残留物質が検出されたとの新聞記事を読み、初めて教団の関与を知った。
 事件後、同じ松本サリン事件の遺族たちに、民事訴訟を起こそうと手紙で呼び掛けた。「同志が欲しかった。心を打ち明けられて、思いを共にするような人たちと一緒になれたらと思った」と振り返る。東京に住む遺族らの働き掛けで弁護団も結成され、勝訴した。
 元幹部の刑事裁判に対しては「とにかく死刑にしてほしい」との思いだけだった。ただ、2018年に松本智津夫元代表=執行時(63)=ら元幹部13人の死刑が執行されて以降も、「気持ちが晴れることはない」と話す。
 事件を知らない世代も増えた。房枝さんは「風化は仕方のないこと」としつつ、「(教団の後継団体は)今も信者が増えていると聞く。やはり事件のことを伝えていかなければいけない」と力を込めた。 
[時事通信社]

松本サリン事件で亡くなった小林豊さん
松本サリン事件で亡くなった小林豊さん

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