2024-04-11 18:40

「熱心だった」「ライバルで友」=理事長ら曙さんの死悼む

 外国出身力士で初めて横綱となり、活躍した曙太郎さんが54歳の若さで死去した。貴乃花、若乃花の両横綱と平成の大相撲ブームをけん引した立役者。11日に届いた訃報を受け、角界関係者からは悼む声が相次いだ。
 曙さんの若手の頃を知る日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は「よく稽古をしていた。熱心だったし、強かった。何度も転がされても、もう一丁、と自ら言ってやっていた」と振り返る。外国出身の力士はまだ多くなかった時代。未経験ながらも真摯(しんし)に相撲と向き合ったからこそ、異文化の中でも横綱に昇進できた。
 八角理事長は北勝海として番付の頂点を極め、1992年に現役を引退した。大乃国、旭富士も土俵を去ったばかりの相撲界。番付から横綱が不在となった異常事態を解消したのが、同じ高砂一門の曙さんだった。
 元横綱3代目若乃花の花田虎上さんは、88年春場所で共に初土俵を踏んだ。「年を取ったら、ハワイの木の下で同期生みんなで会おうと話していた。その約束が果たせず、ただただ寂しい」と悲痛な思いをブログにつづった。
 曙さんは花田さんにとって「ライバルであり、友であり、苦楽を共にした仲間」。その巨体に、高い技巧を生かして立ち向かい、本場所の土俵を何度も沸かせた。
 弟弟子に当たる東関親方(元小結高見盛)は「残念だし、悲しい」と言葉を絞り出した。東関部屋に入門したのは、曙さんが引退する2年ほど前。「自分は小心者で臆病者だったが、いろいろなアドバイスで少しずつ自信をつけてくれた」。横綱としての威厳だけでなく、あふれる優しさも胸に刻まれている。
[時事通信社]

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