イビチャ・オシムさん死去、80歳 サッカー元日本代表監督
サッカーの元日本代表監督イビチャ・オシムさんが1日朝、オーストリアのグラーツで死去した。80歳だった。関係者によると、突然死だったという。葬儀はボスニア・ヘルツェゴビナで執り行われる予定。
1941年、旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボで生まれ、ユーゴ代表選手として64年東京五輪に出場した。引退後は指導者となり、86年からユーゴ代表監督。90年ワールドカップ(W杯)イタリア大会ではストイコビッチ(元J1名古屋)らを擁して8強入りした。
2003年、ジェフ市原(現千葉)監督として来日。「走りながら考えるサッカー」を浸透させ、05年にクラブ初タイトルとなるナビスコカップ(現ルヴァンカップ)優勝に導いた。独特のサッカー哲学をウイットに富んだ言葉で表現した「オシム語録」も注目された。
指導力を高く評価され、06年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会後の同年7月、ジーコ監督の後を受けて日本代表監督に就任。10年W杯南アフリカ大会を目指したが、07年11月に急性脳梗塞で倒れ、岡田武史氏が後任となった。
その後回復して08年6月から12月まで日本サッカー協会のアドバイザーを務めた。日本代表監督としての成績は12勝3敗5分け(うちPK戦1勝2敗)。
母国ボスニア・ヘルツェゴビナの民族対立が原因で、同国サッカー協会が国際サッカー連盟(FIFA)から資格停止処分を科された11年には、正常化委員会の委員長に就任。処分解除に尽力し、資格を回復した同国代表は14年W杯ブラジル大会で初出場を果たした。 (時事)(2022/05/01-23:49)
Osim, Ex-Japan Soccer Coach, Dies at 80
Ivica Osim, former head coach of Japan's national soccer team, died in the Austrian city of Graz on Sunday morning. He was 80.
Osim was born in Sarajevo, Yugoslavia, currently the capital of Bosnia and Herzegovina, in 1941. He participated in the 1964 Tokyo Summer Olympic Games as a member of Yugoslavia's national soccer team.
He became head coach of Yugoslavia's national team in 1986, leading the team to last eight in the 1990 FIFA World Cup in Italy.
Osim came to Japan in 2003 to become coach of the soccer club now called JEF United Ichihara Chiba. Under his leadership, the team won its first J.League title in 2005.
He was known for witty remarks on his philosophy about soccer.
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