崩れゆく戦前の「奉安殿」 保存に課題、学術的価値も―福岡
明治以降、教育勅語と御真影(天皇、皇后の写真)を保管するため全国の小学校に設置された「奉安殿」。太平洋戦争後、連合国軍総司令部(GHQ)の指示で撤去が義務付けられたが、一部は今も各地に残る。専門家は「戦前の教育を物語る戦争遺跡」と学術的価値を強調する一方、管理する関係者が高齢になり、保存に課題が生じている。
奉安殿は1920年代以降、全国に急速に普及し、台湾やサイパンなどにも設置された。九州産業大の佐喜本愛准教授(日本教育史)によると、納められた教育勅語と御真影は1年のうち3日しか公開されず、当時の児童は登校時、建物に最敬礼をしていた。佐喜本准教授は「御真影は神聖化され、奉安殿も天皇制を中心としたナショナリズムの形成を促す装置だった」と分析する。
奉安殿を長年研究する戦争遺跡研究会(名古屋市)の清水啓介さん(73)によると、今年6月時点で北海道、埼玉、長野など各都道府県の約440カ所に現存。寺や神社に移設されたものが多く、一部は慰霊碑として残されている。
福岡県築上町の下城井小学校に1928年に建てられた奉安殿もその一つ。戦後、同小近くに移された後、戦没者の位牌(いはい)が中に安置され、同小遺族会が毎年慰霊祭を行うなどして管理していた。しかし、会員が高齢となるにつれ、周辺に草木が生い茂り、土台が崩れかけた状態に。慰霊祭も06年が最後となった。遺族会会長の西川英敏さん(87)は「残したい気持ちはあったが、資金もなく後継者もいなかった」と苦悩を語る。
西川さんから相談を受けた地元関係者が、奉安殿に隣接する寺「奥之院」に話を持ち掛け、18年に同寺が土地を建物ごと購入した。僧侶の山田龍真さん(79)は「ただの建築物ではない」と一部を自費で補修し、128人の位牌は寺に安置された。山田さんは「解体せず、できるだけ当時の状態で残せて良かった」と話した。
清水さんによると、各地の奉安殿は老朽化が進み、最近5年間で五つが姿を消した。清水さんは「文化財として残し、後世に伝えてほしい」と行政による支援の必要性を訴えた。(2021/08/11-07:06)
"Hoanden" Buildings Pass Down Story of Prewar Education in Japan
In Imperial Japan, structures called "hoanden" were set up at elementary schools across the country to hold sacred photographs of the Emperor and the Empress, together with a copy of the Imperial Rescript on Education.
Some of these structures still exist although the General Headquarters of the Allied Powers mandated their removal after the end of World War II.
Experts emphasize hoanden structures' academic value, calling them a war relic that tells the story of prewar education, but the aging of people working to preserve them poses a challenge for their future. Many hoanden buildings were constructed across Japan in the 1920s and later, and also in Taiwan and the Pacific island of Saipan.
According to Ai Sakimoto, associate professor of Kyushu Sangyo University, who specializes in the history of education in Japan, the pictures of the Emperor and the Empress, and the Imperial rescript kept in hoanden were displayed for only three days every year, and students made a deep, respectful bow to the buildings upon arriving at school every day. "The photographs were sacred, and hoanden structures were used as a device to foster the formation of Emperor-centered nationalism," Sakimoto said.
Keisuke Kiyomizu, a 73-year-old member of a war remnants research group in the city of Nagoya, central Japan, who has studied hoanden for a long period, said that about 440 hoanden buildings existed as of June this year. Many of them have been relocated to temples or shrines, while some are used as war monuments.
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