不屈のフロントランナー=刻み続けた「日本最高」―寺沢徹さん死去

1960年代半ば、寺沢徹さんは日本のマラソンをけん引した。エース格で臨んだ64年東京五輪では失速したが、世界最高を含む日本最高記録を計5度も更新。不屈の「フロントランナー」だった。
東京五輪代表候補になるまでは、ほぼ自己流。戦前のベルリン五輪で長距離2種目ともメダルに迫った村社講平コーチの手ほどきで飛躍した。当時の世界最強は、60年ローマ五輪を2時間15分16秒0の世界最高記録で制したアベベ・ビキラ(エチオピア)。シューズを履かずに完走した「はだしの王者」のタイムを63年2月、寺沢選手が別府大分マラソンでわずかながら上回った。2カ月ほど前に初めて刻んだ日本最高記録を1分以上も縮め、快挙を達成。この世界最高記録は4カ月後、レオナード・エデレン(米国)に破られたが、寺沢選手は有力なメダル候補に躍り出た。
迎えた64年10月の五輪本番。アベベが2時間12分11秒2の世界最高記録で2連覇し、円谷幸吉選手が銅メダルを獲得した。君原健二選手は8位。寺沢選手は序盤のオーバーペースがたたり、15位に沈んだ。失意のどん底から、再び前を向く。2カ月もたたない同年12月、自身の日本最高記録を塗り替えた。さらに2カ月後、これを10秒短縮。第一人者の健在ぶりを示した。
マラソン界をリードしながら、アベベの背中を懸命に追った。東京五輪から50年後の2014年10月、寺沢さんが当時を振り返った。アベベの記録を一度は抜いたが、東京五輪を含む3度の直接対決では歯が立たなかったという。「雲の上の存在。でも、ソウル国際マラソン(66年10月)の20キロ付近で、いったん追い付いたんですよ」。少し誇らしげに、ほほ笑んだ。
[時事通信社]
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