宮沢氏「少数与党」盾に抵抗=コメ市場開放巡り―93年日米首脳会談録
多国間通商交渉の焦点だった日本のコメ市場開放を巡り、宮沢喜一首相(当時)が1993年4月の日米首脳会談で、国内の政治状況を持ち出して輸入制限緩和に抵抗していたことが26日、外務省が公表した会談録で分かった。宮沢氏は自民党が参院で「少数与党」の状況にあるなどと説明し、クリントン大統領(同)の説得を試みていた。
コメを巡っては、当時の食糧管理法(95年廃止)が政府による「全量管理」を定め、輸入は許可制だった。80年代から始まったウルグアイ・ラウンド(多角的貿易交渉)では市場開放につながるコメの「関税化」が焦点となった。一方、自民は89年7月の参院選で惨敗。当時は衆院で多数を維持する一方、参院では過半数割れする「ねじれ」の状態にあった。
ホワイトハウスで93年4月16日に行われた会談で、宮沢氏は関税化を受け入れるには食管法の改正が必要になると指摘。「自民党は参院で少数与党なので、法改正は実現できない。食管法改正は問題外だというのが悲しいかな正直な現状分析だ」と述べ、関税化は困難だと伝えた。
宮沢氏は「参院の過半数を失ったのは牛肉・かんきつの自由化を行って4年前の選挙で大敗したからだ。農民は農協を通じて大きな勢力を有しており、選挙では当落の限界的な作用を発揮できる」と指摘。関税化に踏み切れば自民はさらに苦境に追い込まれかねないと理解を求めた。「先送りして5年先の関税化というような案では駄目だ。かえって政治的に難しくなる」ともクギを刺した。
同席したカンター通商代表(当時)は「1カ国に関税化の例外を認めれば、みんな(他国)も例外を求めることになってしまう」と懸念を伝え、クリントン氏は「都市部の票の増加で(農業票を)補い得ないのか」とただした。しかし、宮沢氏は「そういうことはない」と譲らなかった。
ウルグアイ・ラウンドはその年の12月に実質合意に達し、日本はミニマムアクセス(最低輸入量)を受け入れつつ、関税化回避に成功した。その後、99年に関税化を受け入れ、市場を開放した。
[時事通信社]
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