2024-09-02 21:07社会

原点は「バド楽しい」=初代女王、再び頂点に―パラバドミントン・里見選手〔パラリンピック〕

初めての国際大会で両親と写真に納まるパラバドミントンの里見紗李奈選手(中央)=2018年(本人提供)
初めての国際大会で両親と写真に納まるパラバドミントンの里見紗李奈選手(中央)=2018年(本人提供)

 「バドミントン楽しい」。父がたまたま覚えていた一言が、初代金メダリスト誕生の原点だった。東京パラリンピックで単複2冠に輝いたバドミントン(車いす)の里見紗李奈選手(26)=NTT都市開発。パリで再び臨んだダブルスは惜しくも銀だったが、続くシングルスで念願の連覇を達成した。
 里見選手は2016年5月、交通事故で脊髄を損傷し、両脚に障害を負った。約9カ月の入院を経て千葉県の自宅に戻った娘に、両親はパソコン講習の受講や自動車免許の取得など、さまざまなことを勧めた。父の敦さん(56)は「外に出ていろんなことをして、何ができるか探してもらいたかった」と振り返る。
 そんなとき、入院中にリハビリの一環でバドミントンに取り組んでいた娘の姿をふと思い出した。「『バドミントン楽しい』と言っていたので、千葉でできるところを探してみようと思った」。たまたま見つけたのが、同じくパリ大会に出場した村山浩選手(50)が代表を務める車いすバドミントンクラブだった。17年春、あまり乗り気ではなかった娘を連れて体験に行った。
 「パラリンピック目指せますよ」。体験初日、里見選手がシャトルを打つ様子を見た村山選手は、敦さんにそう声を掛けた。バドミントンが正式競技として初採用された東京大会が3年後に迫っていた。敦さんは「娘も楽しかったみたいで、バドミントンを続けてくれた。頑張ってもらいたいという自分の思いと、楽しいという娘の思いがちょうど合わさった」とほほ笑む。
 瞬く間に世界トップレベルに名を連ね、東京大会では単複で初代女王に輝いた。そんな里見選手だが、のちに同大会を振り返り「食事がのどを通らなかった」と母の比奈子さん(56)に漏らしたことも。今も当時の緊張がよみがえってくることがあるという。それでも母は、娘の「『絶対負けない!』という気持ちの強さ」を信じ続けた。
 「紗李奈が金メダルを取って喜んでいる姿が見たい」。両親の思いに、大舞台で見事に応えた。 
[時事通信社]

女子シングルス(車いすWH1)で金メダルを獲得し、表彰式で涙を流す里見紗李奈=2日、パリ
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女子シングルス(車いすWH1)決勝を制し、ガッツポーズする里見紗李奈=2日、パリ
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