風船爆弾「自分が話さなければ」=作業に動員、96歳男性―80年の節目に企画展・福島
太平洋戦争末期に米国に向けて放たれた「風船爆弾」に関する企画展が、福島県いわき市勿来関文学歴史館で開かれている。最初の風船爆弾が放たれてから今年で80年。基地の電気工事に従事した同市の石井利水さん(96)は、自分の苦しい記憶を進んで話してこなかったが、「自分が話さなければ」と同展に合わせて当時の体験を証言した。
「晴れた日の夕方、西日で照らされ、青色に輝く風船が連なって太平洋の水平線のかなたに消えていく。きれいだったので、上がるたびに見に行った」。石井さんはこう振り返る。
義務教育を終え、同級生の多くが軍隊に入るか、首都圏の工場へ行く中、石井さんは家業の農家を継ぐため地元に残り、1943年に勿来実業学校(当時)に入学した。
同校2年だった44年6月ごろ、いつも通り登校すると、旧陸軍の車が校門に来ており、「乗れ」と指示され、15人ほどの同級生と車に乗り込んだ。作業場に到着すると、「ここでの作業はもちろん、ここに来ていること自体、絶対に誰にも言うな」と口止めされた。
石井さんらは、基地を囲む山の稜線(りょうせん)を越えて電線を引く作業の担当となり、約3カ月間ほぼ毎日作業に当たった。「何も知らされず、指示されるがまま何度も山を上り下りした。風船爆弾の基地と知ったのは、(風船爆弾を放つ)放球が始まった後だった」と石井さんは話す。
石井さんは、こうした過去を話してこなかったが、いわき市の風船爆弾の学徒動員に関する記録に、母校の「勿来実業学校」の名前がなかったことを知り、「基地は跡形もなく、証言できる同級生もみな亡くなってしまった。自分が話さなければ」と思い立った。
石井さんは「当時は何も思わなかったが、今考えるとばかなことをしていたと思う。戦争だけは駄目だと言いたい」と語った。
同展は9月1日まで。風船爆弾に関する資料と共に、石井さんら3人の証言記録が展示されている。
[時事通信社]
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