2024-08-09 20:50社会

納得いくまで、練習の虫=「闘魂」胸に挑んだ五輪―卓球・戸上選手〔五輪〕

パリ五輪卓球男子代表の戸上隼輔選手(右)と恩師の松生幸一さん=3月(松生さん提供)
パリ五輪卓球男子代表の戸上隼輔選手(右)と恩師の松生幸一さん=3月(松生さん提供)

 3位決定戦で惜しくも敗れた卓球男子団体。奮闘した戸上隼輔選手(22)=井村屋グループ=は中学、高校時代、納得のいくまで練習をやり通し、先生もてこずらせた。そんな練習の虫は、根っからのプロレスファン。人気レスラー、故・アントニオ猪木氏のキャッチフレーズ「闘魂」を胸に初の五輪に挑んだ。
 両親は実業団でプレーし、兄2人も卓球に励んだ卓球一家。3歳でラケットを握り、小学1年から自宅近くの松生卓球道場(津市)に通った。
 学校が終わると道場に直行し、夜遅くまで練習する日々。恩師の松生幸一さん(78)によると、手首の柔らかさは天性のもので、「柔よく剛を制す。頭上の球も打ち返し、対応能力が優れていた」と振り返る。
 全国大会で頭角を現すと、山口県の強豪、野田学園中・高校の橋津文彦監督(50)から熱心にスカウトされ、中学2年の時に編入学。橋津監督の指導の下、今につながる攻撃型のプレーを徹底的に磨いた。
 練習は納得がいくまでやめず、自主的な居残りも日常茶飯事だった。橋津監督は「時間を気にしない。練習した手応えがあるかないか、が基準。終わるまで、こちらが待たないといけなかった」と笑う。戸上選手の普段の性格は「超マイペース」という。「忘れ物も多いし、ルーズ。卓球への入り込み方だけはすごい」と振り返る。
 そんな戸上選手の趣味はプロレスだ。昨年、全日本選手権を制した際には、勝利者インタビューで猪木氏の代名詞とも言える「1、2、3、ダー」を披露した。
 「まだまだ伸び代がある」と橋津さん。発展途上の逸材にとって、パリは通過点だ。 
[時事通信社]

小学生の頃の戸上隼輔選手(松生幸一さん提供)
小学生の頃の戸上隼輔選手(松生幸一さん提供)

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