父と歩んだ柔道人生=先輩乗り越え、つかんだ銅―永山選手〔五輪〕
柔道男子60キロ級、永山竜樹選手(28)=SBC湘南美容クリニック=の競技人生の傍らには、陰に陽に父修さん(50)の存在があった。けんかもしたが、スランプからはい上がるきっかけも父の一言だった。3位決定戦で勝利し、銅メダルをつかみ取った。
4歳で柔道を始め、小学校時代は地元で「虎の穴」と呼ばれた道場で練習に励んだ。未経験だった修さんも黒帯を取り、道場では、気を緩めた息子にきつく当たることもしばしば。だが、「竜樹は我慢強く、泣いたことは一度もない」と振り返る。
「もっと強くさせたい」と全国の強豪校に修さん自ら売り込み、永山選手は生まれ育った北海道から愛知県の名門大成中・高に進んだ。柔道部員の中では特に小柄で、初めは投げられっぱなしの日々だったが、中学監督の神谷兼正さん(54)は「弱音は吐かず、言われたことを黙々とやる。しっかり組んで投げる柔道を徹底させた」と話す。
東海大では、3年先輩で「天才」と呼ばれた高藤直寿選手(31)が立ちはだかった。東京五輪代表争いは高藤選手が競り勝ち、そのまま金メダルを獲得。永山選手はこの頃、スランプに陥った。
2021年の世界選手権で敗れた際には父子で言い合いに。「負けて恥ずかしいぞ」「素人に言われたくない」。これを機に、修さんは息子の試合を見なくなった。
国内外の大会で連敗が続いた23年春。永山選手は修さんに「勝ち方が分からなくなった」と打ち明けた。2人で柔道の話をするのは1年半ぶり。「柔道を忘れて海外に行ってこい」。父の言葉に押され、1カ月余り単身渡仏し、現地の柔道教室などに通った。負けを恐れるあまり、見失っていた自身の持ち味「攻めの柔道」を取り戻すきっかけとなった。
帰国後、パリ五輪代表の座を争った大会で高藤選手に一本勝ちし、壁を越えた。パリでの修さんの願いは一つ。「面白い柔道を見せてくれ」。永山選手は父の思いを背負い、畳に立った。
[時事通信社]
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