「聖地」が生んだ名勝負=初の決勝再試合、松山商と三沢―旋風起こしたKKコンビ・甲子園球場100年(2)
【1939年夏決勝・海草中―下関商】海草中の左腕エース嶋が8奪三振、2四球で準決勝に続いてノーヒットノーランを記録。嶋は最上級生の5年になり、突然崩れる悪癖を克服。この大会は全5試合で完封し、被安打はわずか8、三振は57を奪う圧巻の投球だった。希代の名投手は明大進学後、45年3月にインドシナ半島沖で24歳の若さで戦死した。
【1969年夏決勝・松山商―三沢】松山商の井上、三沢の太田が譲らぬ投手戦を演じて延長十八回の末、0―0で引き分けた。試合時間は4時間16分。井上が232球、太田は262球を投じた。翌日行われた初の決勝再試合は松山商が4―2で制した。井上は一回途中で救援を仰いだものの、太田は再試合も投げ抜き、アイドル的人気に拍車をかけた。
【1979年夏3回戦・箕島―星稜】箕島が驚異的な粘りで2度の窮地を脱し、延長十八回サヨナラ勝ちを収めた。十二、十六回に勝ち越されたが、その裏2死からの本塁打で追い付き、十八回に3時間50分の熱戦に終止符を打った。十四回に箕島の三塁走者が隠し球で刺され、十六回2死で邪飛を追った星稜の一塁手が転倒するなどドラマチックな場面もあった。
【1983年夏準決勝・PL学園―池田】桑田、清原の1年生コンビが投打の軸だったPL学園が、夏春夏の3連覇を狙った池田に7―0で完勝した。桑田は完封し、本塁打も放った。清原はこの試合こそ無安打だったが、桑田とともに5季連続で甲子園に出場して優勝2度、準優勝2度、4強1度に貢献。桑田は甲子園通算20勝を挙げ、清原は13本塁打を放った。
【1992年夏2回戦・明徳義塾―星稜】星稜は4番の松井が5打席連続で敬遠され、2―3で敗れた。明徳義塾の馬淵監督は松井との勝負を徹底的に避けるよう指示。1点リードの九回2死三塁で松井を歩かせると、客席から怒号とともにメガホンなどがクラウンドに投げ込まれた。「正々堂々」か「勝つための作戦」かを巡って賛否が渦巻いた試合は、松井のすごみを際立たせた。
【1998年夏準々決勝・横浜―PL学園】横浜の松坂が17回、250球を投げ抜いた。延長十一、十六回に1点ずつ取り合い、横浜が十七回に常盤の2ランで決勝点を挙げた。翌日の明徳義塾との準決勝では八回に2点差に迫り、九回から松坂が登板。球場の雰囲気を変えてサヨナラ勝ち。松坂は決勝の京都成章戦でノーヒットノーランを達成した。
【1999年春決勝・沖縄尚学―水戸商】沖縄尚学が水戸商を7―2で破り、春夏通じて沖縄県勢初の優勝を遂げた。PL学園との準決勝で延長十二回、212球を投げ抜いたエース比嘉公に代わり、決勝では背番号12の照屋が完投した。地元は歓喜に沸き、選手らは沖縄県初の県民栄誉賞を受賞。比嘉公は2008年春に同校の監督として、2度目の頂点に立った。
【2006年夏決勝・早稲田実―駒大苫小牧】駒大苫小牧の田中、早稲田実の斎藤が壮絶な投げ合いを演じて延長十五回の末、1―1で引き分けた。37年ぶりの決勝再試合は早稲田実が4―3で勝ち、駒大苫小牧の3連覇を阻止。最後は斎藤が田中から三振を奪って幕を閉じた。斎藤は決勝2試合で完投。「ハンカチ王子」の愛称が親しまれるきっかけにもなった。
【2009年夏決勝・中京大中京―日本文理】新潟県勢で初めて決勝に進出した日本文理が4―10で迎えた九回に猛追を見せた。2死走者なしから四球と二塁打で1点を返し、さらに適時三塁打で加点。再登板の堂林をマウンドから降ろした。満員の球場に『伊藤』コールが響く中、エース伊藤が2点差に迫る一打を放つなど追い詰めたが、あと1点及ばなかった。
【2022年夏決勝・仙台育英―下関国際】仙台育英が8―1で快勝し、春夏通じて東北勢13度目の決勝で悲願を達成。ようやく深紅の大優勝旗が「白河の関」を越えた。ベンチ入り投手全員が145キロを超える圧倒的な投手力を誇り、大会全試合を継投で勝ち上がった。決勝では満塁本塁打を含む13安打と打線も活発。前年の宮城大会敗退から一気に頂点に立った。
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