「取れたら」では取れない=ミュンヘン五輪代表の森田さん―五輪バレー・復活のニッポン男子(中)
バレーボール男子の日本が、五輪で表彰台に立ったのは1972年ミュンヘン大会が最後。52年前に主力として活躍し、日本の金メダル獲得に大きく貢献した森田淳悟さん(76)が時事通信のインタビューに応じた。自身の経験と重ね合わせながら、パリ五輪に挑む後輩たちへエールを送った。
194センチの長身センターとして、日体大在学中から代表入りした森田さん。3年生で臨んだ68年メキシコ五輪は「金メダルを『取れればいいな』という気持ちで行った。そうすると、練習の中にも気持ちの妥協はある」。ソ連(現ロシア)に屈して銀だった。
ミュンヘンで勝つため、何が必要か考えながら大学で練習していた68年秋のこと。速攻に入った森田さんへのトスのタイミングが合わず、一呼吸置いてからジャンプして打つことに。こんな偶然から「一人時間差」の攻撃をひらめいた。その応用や他の選手との連係も交えながら、独自のコンビ攻撃を築き上げた。
ミュンヘン五輪準決勝のブルガリア戦。第1、2セットを奪われた崖っぷちの状況で、松平康隆監督(故人)は「あと2時間コートに立っていようか。そうすれば勝てる」と選手たちに告げたという。自信の表れでもあったその言葉通りに逆転勝ちを収めると、決勝も東ドイツを破った。「うれしいではなく、ほっとした。五輪が終わったら全日本に入るのをやめようと思っていたから」
森田さんらが編み出した攻撃をパワーで勝る海外勢がまねし始め、日本は長い低迷期に入った。だが、今や五輪の表彰台に返り咲く態勢が整いつつある。日本選手の海外挑戦も多くなり、「世界に通用する選手が増え、控えも遜色がなくなってきた。そこに日本の強さがある」と評する。
ミュンヘンで共闘した名セッターの故猫田勝敏さんの名前を挙げ、同じポジションの関田誠大(ジェイテクト)を「本当にいいトスを上げるようになった。だから(アタッカーも)信頼して動ける」と絶賛。ミドルブロッカー陣の成長も実感し、「クイック(速攻)が速くなった。速いクイックが打てれば、時間差もパイプ(中央からのバックアタック)も生きてくる」と語った。
森田さんらがほぼ同じメンバーでメキシコとミュンヘンに臨んだように、パリに向かう日本も東京五輪の主力が残る。「金メダル(の可能性)は80%ぐらい。金を目指していけば、銀か銅は取れる」と太鼓判。「『取れたらいいな』といううちは、金メダルは絶対に取れない。堂々と『金メダルを取る』と言えるようになればいい」と気持ちの強さを求めた。
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◇森田淳悟さんの略歴
森田 淳悟さん(もりた・じゅんご)東京・日大鶴ケ丘高でバレーボールを始め、日体大1年で全日本入り。身長194センチの大型センターとして活躍し、大古誠司、横田忠義(故人)とともに「ビッグスリー」と呼ばれた。68年メキシコ五輪で銀メダル、72年ミュンヘン五輪は金を獲得。81年の現役引退後は日体大で指導者となり、日本バレーボール協会の男子強化委員長や強化事業本部長、日本オリンピック委員会理事などを歴任。03年に国際バレーボール殿堂入り。北海道出身。76歳。
[時事通信社]
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