野党は「大同団結」を=旭日大綬章の平野元官房長官
民主党政権で官房長官を務めた平野博文氏(75)が旭日大綬章受章に際してインタビューに応じ、「政権交代可能な二大政党制」を目指した半生だったと振り返った。その上で自民党派閥の裏金事件に触れ、「権力は腐敗する。野党は大きな塊になり、政治に緊張感を持たせなければならない」と野党に「大同団結」を呼び掛けた。
当選1回だった1998年、民主党結党に参加し、国対委員長代理など「裏方」として存在感を発揮。2009年に鳩山政権が発足すると、政権の屋台骨である官房長官に抜てきされた。「表舞台に非常に驚いた」と当時の興奮を語りつつ、約3年3カ月後に自民党に再び政権を明け渡さざるを得なくなったことを「口惜しい」と思い返す。
民主党政権が試みたのは自民政治からの大転換だった。しかし、「政治家主導」を掲げる政務三役と官僚の間には発足当初から不協和音が絶えなかった。「調整が非常に難しかった。(公約実現の財源となる)無駄遣い削減も思うように進まなかった」などと「反省」を口にする。
中でも「苦い思い出だ」と振り返るのが、鳩山由紀夫首相が打ち出した米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県外・国外移設の断念だ。平野氏を中心に着地点を探ったが、結局、10年5月に名護市辺野古移設に回帰せざるを得なくなり、鳩山氏は批判を浴びて退陣に追い込まれた。
平野氏は米国などの反発もあり、決着の期限を切らざるを得なかったと説明しつつ、「もう1年欲しかった」と悔恨は尽きない。
下野と同時に議席を失ったものの、14年に返り咲いた後は野党の立て直しに奔走。ただ、国民民主党幹事長として臨んだ立憲民主党との合流協議は難航を極め、最後は国民分裂の結果に終わった。「残念でしょうがない」と語る平野氏だが、多党化した野党再結集への意欲は衰えていない。
平野氏は「野党がまとまることが日本を変え、政権交代の可能性を高めていく」と述べ、日本維新の会も含めた協力が必要だと力説。「大綬章受章は一つの区切りだが、引退するわけじゃない。野党が一緒になるよう後方から応援団の気持ちで取り組みたい」と笑顔を見せた。
[時事通信社]
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