2024-10-22 21:49

闘志貫いた小兵=モンゴル勢を育成―元大関旭国

 しぶとかった。亡くなった元大関旭国の太田武雄さんは身長174センチの小兵。頭を上げずに食らい付き、立ち合いでは相手の動きを分析してうまく間合いをはかる。その闘志と粘り強さで「ピラニア」の異名を取り、誰より研究熱心な姿勢は「相撲博士」と呼ばれるようになった。
 現役時代に膵臓(すいぞう)を患い、何度も入院した。小結で臨み、治療のため初日から休場していた1975年3月の春場所。医師の勧めを振り切る形で、10日目から途中出場して4勝を挙げた。「土俵に上がれば、死んでも本望なのか」と問われ、「まだしたいことは多い」と決意を明かしたという。その後、三役に定着し、29歳を目前に大関昇進を果たした。
 試練を克服した経験が師匠としての指導に生きた。稽古場では、本場所中でも多くの番数を命じる一方、丁寧にアドバイス。記者らには弟子をよく褒めた。稽古後も居残って体を動かす姿に目を細め、小さな声で「ほら、ずっと稽古場にいるんだよ。すごいでしょう」。
 横綱旭富士(現伊勢ケ浜親方)を育てたほか、モンゴル勢を初めてスカウト。旭鷲山、旭天鵬(現大島親方)がともに三役まで昇進した。二人が道を開いたことで、同国からは朝青龍、白鵬ら5人の横綱が誕生。角界の一大勢力となった。
 日本相撲協会を定年退職する際、「いい弟子に恵まれた。幸せな人生だった」と語った。現役時代にしのぎを削り、2005年に死去した元大関初代貴ノ花とは、土俵を離れれば親友とも言える間柄だった。あの世で盟友との相撲談議が尽きないことだろう。 
[時事通信社]

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