仏看護師「ディエンビエンフーの天使」死去 99歳 インドシナ戦争に従軍
【パリAFP=時事】第1次インドシナ戦争中、当時のフランス領インドシナで従軍看護師として負傷者の治療に尽力し、「ディエンビエンフーの天使」と呼ばれたジュヌビエーブ・ド・ガラールさんが5月30日、死去した。99歳。エマニュエル・マクロン大統領は翌31日、「模範的に献身した」と哀悼の言葉をささげた。≪写真は、仏パリの自宅で、自身の特集記事に目を通すジュヌビエーブ・ド・ガラールさん≫
ガラールさんは、1954年のディエンビエンフーの戦いに従軍。この戦いでフランスはベトナム独立同盟(ベトミン)に敗北を喫し、植民地のインドシナから撤退した。
貴族出身で青い目を持つガラールさんは1953年、志願して仏領インドシナに赴いた。ディエンビエンフーを引き揚げようとした際、避難用の輸送機の1機が銃撃で破壊され、同地に2か月とどまることになった。
ガラールさんは負傷者に包帯を巻き、注射を打ち、治療に奔走。腕の中で亡くなった兵士もいた。両腕と片脚を失った兵士から、「この戦争が終わったら、君を踊りに誘うよ」と言われたこともあると後に回想している。
大統領府はガラールさんについて、「この熱帯の窮地で従軍していた(フランス人)唯一の看護師」だと説明。「この地で1万5000人の兵士が戦い、命を落とした」としている。
マクロン氏はX(旧ツイッター)に「ディエンビエンフーの天使が私たちの元を去った」と投稿。「従軍看護師として、インドシナ戦争で(フランスにとって)最悪の時期に、1万5000人の兵士の勇気と苦しみに模範的に献身した」とたたえた。
仏紙フィガロはガラールさんについて、「仏軍が被った最悪の悲劇の一つの最後の目撃者の一人」だと報じた。
1954年5月、仏軍の拠点が陥落すると、生き残っていた1万2000人の仏兵は捕虜となった。ガラールさんも17日間捕虜となっていたが、ベトナム革命の指導者ホー・チ・ミンに釈放され、本国に送還された。【翻訳編集AFPBBNews】
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