中曽根元首相死去、101歳 日米重視、国鉄民営化断行―「戦後政治総決算」掲げ
戦後政治の総決算を掲げ、日米関係の強化や行政改革で実績を残した中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相が29日午前、死去した。101歳だった。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長男弘文(ひろふみ)氏。後日お別れの会を開く予定。
中曽根氏は1918年5月、群馬県高崎市生まれ。41年、東京帝国大学法学部卒業後、旧内務省に入り、海軍士官を経て47年4月、衆院旧群馬3区で初当選。以来、比例北関東ブロックも含め連続20回当選した。
国民民主党、改進党、日本民主党などを経て、55年の保守合同による自民党結党に参加。59年、岸内閣の科学技術庁長官として初入閣し、その後、運輸相、防衛庁長官、通産相、自民党幹事長、行政管理庁長官などを歴任し、82年11月、第11代自民党総裁となり、第71代首相に指名された。
鈴木内閣の行管庁長官として第2次臨時行政調査会(土光敏夫会長)発足に尽力。首相就任後も鈴木内閣の行革路線を引き継ぎ、国鉄の分割・民営化や電電公社(現NTT)、専売公社(現日本たばこ産業=JT)の民営化を成し遂げた。
外交・安全保障面では、日米関係を「運命共同体」と位置付け、レーガン米大統領(当時)と「ロン・ヤス」と呼び合う親密な関係を構築。防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠を突破する予算を編成するなど米国との連携強化を明確にした。また、戦後の首相として初めて、靖国神社を公式参拝した。
安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一3氏が「ニューリーダー」として党総裁の座を争う中、竹下氏を後継指名した。首相在任は5年に及び、安倍、佐藤、吉田、小泉内閣に続いて戦後5位の長期政権だった。
首相退任後に未公開株の政財界への譲渡が問題となったリクルート事件が発覚、自身も証人喚問を受け、自民党を一時離党した。
小派閥の中曽根派を率い、政局の節目でしばしば政治行動を豹変(ひょうへん)させたことから、政界の「風見鶏」ともやゆされた。97年には大勲位菊花大綬章を受章。自民党の比例代表単独候補への定年制適用により小泉純一郎首相(当時)から引退を勧告され、2003年の衆院選への出馬を断念、国会議員を引退した。
その後も、講演などで憲法や教育問題に関し積極的な発言を続けた。17年5月には著書「国民憲法制定への道」を出版。安倍晋三首相が掲げた憲法9条改正について、自衛隊を「自衛軍」として2項に明記すべきだと訴えた。同月の99歳の白寿を祝う会では「(改憲は)わが人生の願いだ」となお意欲を見せていた。(2019/11/29-16:47)
Former Japan Prime Min. Nakasone Dies at 101
Former Japanese Prime Minister Yasuhiro Nakasone died on Friday morning. He was 101.
Nakasone, who served as prime minister between November 1982 and November 1987, worked to strengthen Japan's relations with the United States and promote administrative reforms, including the breakup and privatization of the Japanese National Railways.
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