2024-09-04 09:27社会

初出場6位、力出し切る=元高校球児、陸上に転向―パラやり投げ・高橋選手〔パラリンピック〕

パラ陸上やり投げの高橋峻也選手(中央)と日本福祉大教授の三井利仁さん(右)=2019年(三井さん提供)
パラ陸上やり投げの高橋峻也選手(中央)と日本福祉大教授の三井利仁さん(右)=2019年(三井さん提供)

 パラリンピックに初出場した陸上やり投げ(上肢障害F46)の高橋峻也選手(26)=トヨタ自動車=は6位だった。右腕に障害を抱えながら、かつては甲子園の土を踏んだ元高校球児だが、残念ながらメダルには届かなかった。
 鳥取県米子市出身。3歳の時に患った脊髄炎の影響で右腕に障害を負った。小学生の頃から野球に打ち込み、高校3年で甲子園のベンチ入り。その頃の、左手で捕球し、素早くグラブを外して同じ手で送球する高橋選手の練習映像が、日本福祉大教授の三井利仁さん(60)の目に留まった。
 「陸上競技で一緒にパラリンピックを目指しませんか」。日本パラ陸上競技連盟で選手の強化や発掘をしていた三井さんは、高橋選手にこう声を掛けた。体力や精神力など「アスリートとしての土台がある」と見込んだ。
 これを機に2017年、陸上に転向。「肩の強さには自信がある」とやり投げを選んだ。ただ、「投げ方が全く違う」(三井さん)ため、野球時代の癖を直すのに今も苦労しているという。
 そんな高橋選手の強みは、誰にも負けない練習量。大学時代は「誰よりも先にグラウンドに来て、最後まで残っていた」と三井さんは振り返る。
 右腕が不自由な中でのやり投げは「助走するにしてもやりを投げるにしても、バランスを取るのがとても難しい」。それでも「継続は力」をモットーに、厳しいトレーニングを重ね、技術を高めていった。
 当初の目標だった東京大会出場はかなわなかったが、この3年間で日本記録を持つまでに成長。憧れのパリの舞台で、力を出し尽くした。 
[時事通信社]

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