「研究心」でけがもチャンスに=父の夢携え、かなえた金―レスリング・元木選手〔五輪〕
レスリング女子62キロ級で金メダルを獲得した元木咲良選手(22)=育英大助手。けがで心がくじけそうになった時も、研究心でピンチをチャンスに変えてきた。五輪選手だった父の思いを胸に大舞台に挑み、見事栄冠を手にした。
金メダルが決まった瞬間、しばらく両手で顔を覆い、その後笑顔で力強く何度もガッツポーズ。日の丸を掲げてさっそうとマットを走り、会場の歓声に応えた。
父康年さん(54)は2000年シドニー五輪に出場し、今も現役のレスリング選手。「娘もいずれは五輪選手に」と夢を託し、3歳の頃からレスリング教室に連れ出した。
小学生の頃の元木選手は、試合で負けると帰宅しても延々と泣き続けた。負けず嫌いで、強豪の埼玉栄中(さいたま市)に進むと、「練習ノート」をつけ始めた。負けた試合はすぐに映像を見直し、敗因を分析。教わったこと、注意されたことを書き留め、高校までで30冊以上になった。
高校時代はけがもあり、目立った成績は残せなかったが、手足の長さに目を留めた育英大(群馬県)の柳川美麿監督(48)にスカウトされた。「減量をさせない」指導方針は功を奏し、階級を上げて臨んだ大会で優勝を重ねた。
だが、大学2年の夏に右膝靱帯(じんたい)を断裂。長期休養を余儀なくされた。「やめてマネジャーになろうかな」。弱気な言葉を漏らす娘を康年さんは「まだ諦めるな」と励ました。同じけがを経験した父に支えられ、元木選手は再び前を向いた。
「意味のあるけがの期間にしよう」。柳川監督の言葉に、リハビリ中は強豪選手の映像をむさぼるように見て、イメージトレーニングを繰り返した。「復帰した時はなんでもできる感覚になっていた」と元木選手。苦難の中で培った技術を生かして代表選考レースを勝ち抜き、親子2代での五輪出場を決めた。
代表内定後の昨年末。帰省した元木選手は父をスパーリングに誘った。康年さんは娘の練習相手を務めるためにも鍛錬を欠かさないが、その娘は世界と戦えるまでに成長した。口元を緩め、つぶやいた。「もう負けちゃいますけどね」。
[時事通信社]
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