2024-08-01 21:25社会

「燃え尽き」からの復活経験=遅咲きアタッカー、初の五輪―バレーボール・井上選手〔五輪〕

高校時代の恩師・霜尾季挑さん(左)と霜尾さんの子どもを抱きかかえるバレーボールの井上愛里沙選手=2023年10月、京都府(霜尾さん提供)
高校時代の恩師・霜尾季挑さん(左)と霜尾さんの子どもを抱きかかえるバレーボールの井上愛里沙選手=2023年10月、京都府(霜尾さん提供)

 バレーボール女子の井上愛里沙選手(29)は中学卒業後、いったんコートを離れた時期がある。「もう一度やりたい」。およそ1年のブランクを経て舞い戻ったアタッカーは、パリ五輪で初めて代表の座をつかんだ。
 京都府舞鶴市出身。中学時代は岡山県にバレー留学し、全国でも名を知られるアタッカーとして活躍した。だが、中学3年間で燃え尽き、バレー熱は冷める。卒業後は地元に戻り、強豪とは言えなかった西舞鶴高校(同市)に通った。同校の入試で「バスケットボールを頑張りたい」と発言するほど冷めていたという。
 後に井上選手を指導することになる霜尾季挑教諭(35)が同校に着任したのは、井上選手が2年生になった春。霜尾教諭はバレー経験者で、同校のバレー部顧問になった。井上選手の名前を耳にしており、着任時、「なぜこれだけのポテンシャルがある子が、この学校にいるのか」と疑問に思ったという。
 「もう一度やりたいです」。井上選手は、その年の5月、バレー部の門をたたいた。本気になったのは、中学以来。ブランクはあったが、復活後、最初に打ったスパイクはコートに突き刺さり、弾んだボールが体育館の天井まで飛んだ。霜尾教諭はあまりの逸材ぶりに「笑いが止まらなかった」と話す。
 井上選手はコートでの感覚を取り戻していくにつれ、試合でリードされてもムードを明るく変えることができる存在に成長。チームの戦績も上がり、地区大会を勝ち抜けなかった同校は京都府3位になった。
 霜尾教諭は井上選手について、「本人は『やらされるバレー』が嫌い。自分で答えを持っていた」と語る。井上選手は高校を卒業する際、「(大学でも)明るいチームにしてきます」と言って巣立ったという。 
[時事通信社]

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