三度目の正直、執念の銅=涙の中学時代、努力で覚醒―最年長、柔道橋本選手〔五輪〕
日本柔道男子史上、最年長五輪出場の73キロ級、橋本壮市選手(32)=パーク24。「下手くそ」だった中学時代、人一倍の努力で実力を蓄えた。壮年の柔道家は三度目の正直でようやく五輪の畳にこぎ着け、銅メダルをつかみ取った。
サッカーや体操もこなした幼少期。柔道は小学1年から始めた。指導した育誠館道場(浜松市)の杉山崇館長(48)は、胸板が厚くがっちりした体つきが印象に残っている。「前に出て技を出せ」と口酸っぱく言い、基礎を磨いた。
「もっと強くなりたい」。橋本選手はふるさとの浜松市を離れ、全国の精鋭が集う東海大相模中(相模原市)に進学。両親は後年、当時の先輩から「入学当初、壮市は一番下手くそで毎日寮で泣いていた」と聞かされた。父圭右さん(60)は「泣き言は聞いたことがない。陰で努力したのだろう」と推し量る。
練習前の自主トレ、就寝前の走り込み。周りが休む間も橋本選手は鍛錬を続けた。当時を知る関係者は「人の3倍、4倍努力していた」と話す。中高時代の恩師林田和孝さん(72)によると、橋本選手は「(柔道の)目覚めは遅かったが高2ぐらいから強くなった」といい、高3で念願のインターハイ優勝を果たした。
世界を見据え、73キロ級に階級変更した。だが、同い年の大野将平さん(32)が立ちはだかり、リオデジャネイロ、東京両五輪は大野さんとの代表争いに敗れた。国際大会の成績を基に算出される世界ランクは橋本選手が1位だったが、「引退」の二文字が頭をよぎった。
「1位なんだからやめることないよ。まだ試合が見たいな」。母美喜恵さん(60)の言葉に奮起、畳に上がり続けた。この間、大野さんが一線を退き、長女が誕生。家族のため、自らの強さを示すために突き進み、代表の座を射止めた。
[時事通信社]
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