2024-07-28 01:31社会

「泣き虫なつ」、頂点に=父直伝のともえ、武器に―日本勢初の金・柔道角田選手〔五輪〕

小学生の頃の角田夏実選手(左)と父佳之さん(佳之さん提供)
小学生の頃の角田夏実選手(左)と父佳之さん(佳之さん提供)

 31歳で五輪初出場の柔道女子48キロ級、角田夏実選手=SBC湘南美容クリニック=が今大会日本勢初の金メダルに輝いた。幼い頃から「泣き虫」で、柔道から心が離れかけたこともあった。遅咲きの柔道家は、父直伝のともえ投げと磨き上げた関節技を武器に一本勝ちを量産し、パリで大輪の花を咲かせた。
 柔道整復師の父佳之さん(60)に連れられ、地元の警察署で小学2年の時に競技を始めた。試合前からよく泣き、佳之さんは「泣くと緊張が解けたのだろう、泣いてからの方が強かった」と笑う。
 「黒帯までは頑張ろうね」と母五都子さん(64)と約束し、何となく続けていた柔道。中2の全国大会初戦で開始早々、一本背負いで負けたことが本腰を入れる転機となった。「あんな技知らない!」。悔しがる娘を見かねた佳之さんは自宅に4畳の「道場」をつくり、毎晩1時間の稽古をつけた。
 だが、八千代高(千葉)に進学後も、試合中は相変わらず涙が出た角田選手に付いたあだ名は「泣き虫なつ」。高2でインターハイ3位になるなど結果を残すも、柔道からは心が離れつつあった。
 「ケーキ屋になりたい」。進路相談でそう切り出された当時監督の石渡正明さん(61)は「3位になってケーキ屋になりたいやつなんているか!」と一喝したという。
 母からも「大学を卒業してもなれるよ」と説得され、「伸び伸び柔道ができるなら」と東京学芸大に進んだ角田選手は柔術道場にも通い始め、関節技に磨きを掛けた。その器用さは、高本道場(東京)を主宰する高本裕和さん(47)が「足の指が手のように使える。手が四つある感じだ」と舌を巻くほどだ。
 高校時代に父から手ほどきを受けたともえ投げにも「夏実流」の改良を重ねた。これらの得意技を引っ提げ、25歳で初めて臨んだ世界選手権は準優勝、2021年から3連覇を果たした。
 「柔道が好き」。泣き虫だった少女は、今は胸を張ってそう言える。 
[時事通信社]

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