日本移民「どうしようもなかった」=第2次大戦の強制退去―正式謝罪か、25日に会合開催・ブラジル
【サンパウロ時事】ブラジル連邦政府の諮問機関「恩赦委員会」は25日、会合を開き、第2次世界大戦で敵国だった日本の移民に命じた強制退去などの政治的迫害について、政府として初めて正式に謝罪するかどうか決定する。これに先立ち、81年前に強制退去を経験した沖縄県出身の当山正雄さん(102)がインタビューに応じた。日本人に対する差別が横行していた当時を振り返り、「どうしようもなかった」と苦渋の表情で話した。
1943年7月8日、24時間以内の退去を命じられた日本移民は、南東部の港町サントスに住む約6500人。沖合で相次ぎ起きた商船の撃沈に絡んでスパイの疑いがかけられた。命令を「路上で伝えられた」という当山さんは、着の身着のままでサンパウロの収容所まで移動した。
当時のブラジルでは公共の場で日本語の使用が禁止されていた。当山さんは、通りで「そこの日本人しゃべるな」といった差別的な言葉を浴び、「暴力で死んだ日本人もいた」と振り返った。「みんな怒りを覚えていたが、どうしようもなかった」と嘆いた。
退去によって家族と離れ離れになった当山さんは、収容所では地面に寝て過ごした。しばらくして収容所を出て、バスの整備士の仕事を続けた。終戦後、サントスに戻ったが、退去前に住んでいた家が人手に渡るなど、「すべてを取られた」と当山さん。当時は悔しさで涙を流したという。
戦後に結婚し、独立して自身の修理工場を運営した。政府が謝罪を検討していることを「いいことだ」としつつも、「話すと捕まる」として多くは語らなかった。戦後も続いた日本移民への迫害で、心に大きな傷を負った様子がうかがえる。
娘のマルシアマサコさん(68)は「正常に進んでいた物事が突然(退去を通じて)変わり、家族が離れ、困難が生じ、住む場所もお金もなく、何もかも失った」と指摘。「政府が問題を認識して謝罪することには価値がある」と述べた。
[時事通信社]
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