押し付けず、貫いた「根本」=フランスで約30年―萩原信久さん・パリ五輪柔道「大国の父、柔道日本」(上)
フランス北西部ノルマンディー地方のセーヌマリティーム県にある人口約3万人のエルブフ。天理大を卒業したばかりの萩原信久さん(66)が誘いを受けてその地を訪れたのは1981年だった。当時、同県には既に100余りの道場がひしめき合っていた。
ほとんどの道場に柔道の創始者、嘉納治五郎と共に見知らぬ日本人柔道家の写真が飾られていた。「フランス柔道の父」とされる川石酒造之助だ。習った技の数によって色が替わる7色の帯制度を取り入れたり、日本語名の技を分かりやすく数字に置き換えたりと、普及の功労者だった。
既に独自の発展を遂げていたフランス柔道。萩原さんは当初、受け入れるのに苦労した。道着の着方はバラバラで、靴をそろえない。話を聞くより意見を主張したがる。「何て不道徳なのか」と憤慨したことも。だが次第に考え方が変わった。「無理やり日本の様式を押し付けるでなく、根本的な部分を言葉にして理解してもらう」
教え子に伝えたのは「自分のエネルギーを使って、いいことをしなさい」。嘉納の「精力善用」の教えが頭にあった。他の道場で断られたダウン症や自閉症がある子供を引き受けた。最初は距離を取っていた教え子も徐々に受け入れ、いたわる気持ちを持つようになった。「試合に勝つだけでなく、人間として成長してほしい」との思いが通じた。
技の面では力任せではなく、相手の力を利用し、体さばきや動きによって、「最適な瞬間に『一本』が生まれる」と指導した。当時は異色に思われたが、柔道の本質を教えることを貫いた。
近郊で月に1度ほど指導を受ける子供たちの中に体格のいい少年がいた。後に最重量級で五輪を連覇したダビド・ドイエは、ある雑誌の中で述べた。「ハギワラという日本人が、これまでになかった柔道の形をいろいろな意味でノルマンディーにもたらし、多大な影響を与えてくれた」。2015年に帰国した萩原さんにとって、うれしい言葉だった。
[時事通信社]
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