最強の原点、努力の日々=「成長途上」、堂々の連覇―柔道・阿部一二三選手〔五輪〕
視線の先には2大会連続の金メダルしかなかった。柔道男子66キロ級の阿部一二三選手(26)=パーク24。決して天才肌ではなく、少年時代から努力を積み重ね、力強い攻めの柔道を築いた。序盤で敗れ去った妹詩選手(24)=同=の思いを背負って戦い、連覇をたぐり寄せた。
勝ち名乗りを受けると、両手でガッツポーズし観客席の歓声に応えた。最後は深々と座礼をし、畳を後にした。
座右の銘は「努力は天才を超える」。その原点は幼少期にある。今では無類の強さを誇る一二三選手だが、小学生の頃は体が小さく、女子相手にも負けた。「強くなるには頑張るしかない」。幼いながらに感じ、父とのランニングや階段ダッシュなどの自主練習で体幹の強さを鍛えた。
妹の方が柔道センスがある―。幼少の2人を知る恩師の見方だ。兵庫少年こだま会(神戸市)できょうだいを指導した高田幸博さん(60)は「(一二三選手を)知らない人は『天才』と言うが、こつこつ努力を重ねるタイプ」と評する。
一二三選手は小学校高学年の時から、後に母校となる神港学園高(同市)へ出稽古に通った。監督だった信川厚さん(59)は「きれいな柔道ではなかったが、相手を持ち上げて投げ抜く力強さがあった」と振り返る。中高時代は器具を使ったウエートトレーニングやプロテインに頼らず、「ナチュラルで頑丈な体づくり」に励んだ。
信川さんが高校時代の一二三選手の指導に取り入れたのが「阿部シフト」だ。主要大会前には練習時間の一部を一二三選手にのみ費やし、コーチや大学生に相手を務めさせた。減量のため、真夏に道場でストーブをたいたことも。「スタミナ面、精神面、減量。合わせて一回で、という思いだった」と信川さんは笑う。
高2でシニア大会の講道館杯で最年少優勝、20歳で世界選手権制覇と、すさまじい成長曲線を描いた一二三選手。東京五輪以降は負け知らずだが、「まだまだ成長できる部分はいっぱいある」。最強の柔道家の伸び代に終わりは見えない。
[時事通信社]
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