2021-08-04 14:33

大坂は女性8人目の聖火最終点火者〔五輪〕

 23日夜行われた東京五輪の開会式。聖火最終点火者はテニスの大坂なおみ(日清食品)だった。女性、多様性といった「看板」に当てはまることから、うわさされた候補者の一人だが、開幕前日までこれらのテーマに逆行する問題が後を絶たなかった今大会。大坂に託したメッセージは、ストレートに世界へ伝わっただろうか。

◇メッセージは伝わったか

 聖火リレーの始まりは1936年ベルリン五輪だった。「初代聖火最終点火者」はフリッツ・シルゲンという陸上中長距離の選手で、当時29歳。その前も後も五輪出場経験はないが、最終点火者に選ばれたのは、走る姿が美しかったからだという。

 シルゲンは96年アトランタ五輪に際し、近代五輪100周年を記念して行われた聖火リレーで、ベルリン五輪のメインスタジアムで聖火台に再び火を灯す栄誉を担った。90歳だった。05年に94歳で死去している。

◇夏は過去30人、最多は陸上選手

 一般には聖火最終走者といわれるが、走らずに最後の点火だけを行う例も出てきたため、ここでは「最終点火者」として過去の人選を振り返る。その場合、ベルリンから前回2016年リオデジャネイロ五輪まで19回の夏季大会で、最終点火者を務めたのは30人。

 やはりスポーツ選手が27人で最も多く、競技別では陸上が18人と圧倒的に多い。最終走者として走って点火するので、ベルリン五輪のシルゲンのように走る姿が重視されるためか。練習やリハーサルもしやすい。

 他の競技は体操、セーリング各2、馬術、バスケットボール、アーチェリー、ボクシング、ボート各1人。どんな競技に人気があり尊敬を集めているかにも、お国柄が表れる。陸上と並ぶ夏季大会の花形である水泳や、五輪の伝統競技であるレスリングの選手がいないのを意外に感じる人も多いだろう。

 過去の夏季五輪で冬季競技の選手が点火した例はない。冬季五輪では92年アルベールビル五輪でミシェル・プラティニ(サッカー)、10年バンクーバー五輪でスティーブ・ナッシュ(バスケットボール)が務めた。ただ、ともに単独でない。

◇女性の最初はメキシコ五輪

 スポーツ選手でない人も含め、女性は大坂が8人目となった。最初は68年メキシコ五輪のエンリケッタ・バシリオ。陸上の短距離、ハードルの選手で、同五輪にも出場している。19年10月に71歳で亡くなった。

 00年シドニー五輪のキャシー・フリーマンは同大会にも出場し、陸上の女子400メートルで優勝した。男女とも、現役選手としてその五輪に出場した例はバシリオ、フリーマンらわずかで、金メダルはフリーマンだけ。大坂が優勝すれば2人目になる。「本業」の調整を優先させるため、代表選手を最終点火者の対象から外していた大会も少なくない。

 2人以上が一緒に点火した例が過去3回あり、76年モントリオール五輪は2人の若い男女、88年ソウル五輪は男性2人と女性1人の若者で、12年ロンドン五輪は男性4人、女性3人の若者だった。

◇最多はヌルミの金9個

 五輪出場経験のあるオリンピアンは14人。うち8人が金メダリストで、フリーマン以外はいずれも過去の五輪で金メダリストになっており、いわば開催国の「レジェンド」だ。中でも最も多くの金を獲得したのは52年ヘルシンキ五輪で点火したパーヴォ・ヌルミで、20年代に陸上男子1万メートルなどで9個の金メダルを獲得している。

 金メダリストで聖火最終点火者は次の8人。カッコ内は金を獲得した五輪年と競技名。

 ▽52年ヘルシンキ五輪 パーヴォ・ヌルミ(20年ほか、陸上)、ハンネス・コーレマイネン(12年ほか、陸上)▽80年モスクワ五輪 セルゲイ・ベロフ(72年、バスケットボール)▽84年ロサンゼルス五輪 レイファー・ジョンソン(60年、陸上)▽96年アトランタ五輪 モハメド・アリ(60年、ボクシング)▽2000年シドニー五輪 キャシー・フリーマン(同年、陸上)▽04年アテネ五輪 ニコラオス・カクラマナキス(96年、セーリング)▽08年北京五輪 李寧(84年、体操)

 若い時に最終点火者を務め、その後の五輪に出てメダリストになった例では、56年メルボルン五輪のロン・クラークが、64年東京五輪の陸上男子1万メートルで銅メダルを獲得している。

◇92年はパラリンピアン

 唯一のパラリンピアンは、92年バルセロナ五輪のアントニオ・レボジョ。アーチェリーの選手で、車いすから聖火台へ火矢を放って点火する演出が世界中を驚かせた。選手としても84年大会の銀、88年大会の銅に続き、この大会でも銀メダルを獲得している。

 パラリンピックの第1回大会は64年の東京大会。今回は競技場内でパラリンピアンの土田和歌子(八千代工業)が聖火をつないだ。

◇「象徴」としての英雄たち

 96年アトランタ五輪はモハメド・アリ。60年ローマ五輪ボクシングライトヘビー級の金メダリストで、プロボクサーとしての栄光は言うまでもないが、黒人差別と闘い続ける生き方が、人々に大きな影響をもたらしてきた。引退後はパーキンソン病との闘いでも知られ、震える手で点火する姿が世界中に放送された。

 フリーマンはオーストラリアの先住民アボリジニ。「白豪主義」と呼ばれる人種差別の残る国で闘い続けてきた人々の、象徴的存在だった。

 リオ五輪のバンデルレイ・デリマは04年アテネ五輪の男子マラソンで先頭を走りながら、コース乱入者に抱きつかれて妨害され、タイムをロスして抜かれながらも諦めずに銅メダルを獲得した。

 ソウル五輪では孫基禎が、スタジアムを走って最終点火者たちに渡した。孫は朝鮮半島が日本の統治下にあった時代の36年ベルリン五輪に、日の丸を付けて出場し男子マラソンで金メダルを獲得している。

 いずれも競技の実績だけでなく、英雄たちに「不屈」「反差別」「反戦」「フェアネス」などのメッセージを託した人選、演出だった。

◇「未来」「希望」の願い込め

 オリンピアン以外から最終点火者を選ぶ場合には、さらに強いメッセージ性が感じられる場合が多い。

 64年東京五輪では、広島に原爆が投下された45年8月6日に広島県内で生まれた坂井義則が選ばれた。当時は早稲田大の陸上選手だった。旧国立競技場の階段を軽やかに、しかし力強く駆け上がる姿は、航空自衛隊のブルーインパルスが秋晴れの空に描いた五輪マークとともに、人々のまぶたに焼き付いた。その後はフジテレビで活躍。今回の東京五輪開催が決まってから1年後の14年、69歳で亡くなっている。

 76年モントリオール五輪の十代2人は、フランス語を話す少年と英語を話す少女。この地の歴史と文化の多様性を象徴していた。

 88年ソウル五輪は3人の若者で、1人はこの五輪のマラソンに出場した陸上選手だが、2人はそれぞれ学校の教師、女性ダンサーだった。

 12年ロンドン五輪では7人のオリンピアンがそれぞれ選んだ10代の若者7人が大役を務めている。1人はのちに陸上で五輪のメダリストになったが、スポーツ選手でない若者も含まれていた。

 また、16年リオ五輪では市内の教会にも「第2の聖火台」が設置された。この教会では93年にストリートチルドレンの子どもたちが虐殺される事件が、00年にはバスジャック事件が起きている。競技場へ入れない人も聖火を見られるようにとの配慮とともに、市民の深い悲しみと願いが込められていた。

◇札幌冬季五輪は市内の高校生

 なお過去2回、日本で行われた冬季五輪では、72年札幌五輪が高校1年生の高田英基、98年長野五輪は92年アルベールビル五輪フィギュアスケート女子シングル銀メダリストの伊藤みどりによって点火された。

 札幌は同じく高1の辻村いずみがスケートで真駒内スピードスケート競技場(現真駒内セキスイハイムアイスアリーナ)のリンクを滑走し、トーチを受け取った高田がスタンドの階段を駆け上がる演出だった。2人は、札幌市内在住のスポーツ好きな少年少女から選ばれている。

 聖火最終点火者はその時まで明かされないことが多い。札幌、長野は事前に公表されたが、今回は当日まで伏せられた。

 日本は12年のストックホルム大会で初めて五輪に参加して以来、獲得したメダルは今大会前までで499個に上る。オリンピアンへの敬意という意味では、競技場内で最初にトーチを手にした柔道の野村忠宏さん、レスリングの吉田沙保里さんの2人はまさにふさわしかった。大坂にトーチを手渡した被災地の少年少女も、若者に未来を託す意味では五輪らしい光景だった。だが、その間に登場した長嶋茂雄さん、王貞治さん、松井秀喜さんは国内のヒーローであっても、五輪との関係は極めて薄い。海外の野球が普及していない国ではさらにピンと来なかっただろう。(敬称略)(時事通信社・若林哲治)(2020.2.2、2021.7.23更新)

〔写真説明〕東京五輪の開会式で聖火の最終点火者を務めた大坂なおみ=23日、東京・国立競技場
〔写真説明〕東京五輪の開会式で聖火ランナーを務めた野村忠宏さん(右)と吉田沙保里さん=23日、東京・国立競技場