2021-07-08 18:15

「何度出ても夢の舞台」=招致から8年、代表つかむ―パラトライアスロン・谷選手

 選手の立場で東京五輪・パラリンピック招致実現に尽力し、東京パラのトライアスロン女子代表に決まった谷真海選手(39)=旧姓佐藤、サントリー=が時事通信の単独インタビューに応じ、「パラリンピックは4度目だが、何度出ても夢の舞台。まずはスタート地点に立てる。招致に関わった大会に出場する権利を得られてうれしい」と心境を語った。
 谷選手は2020年夏季五輪招致が懸かった13年9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、最終プレゼンテーションに登壇して英語でスピーチ。故郷の宮城県気仙沼市が東日本大震災で津波被害に遭った時、他の選手らと復興活動に携わった経験を基に「スポーツの力」の大きさを訴えた。
 しかし昨年、新型コロナウイルスの流行で大会は1年延期に。当時は「体も気持ちもぎりぎりのところでやっていた」と打ち明けた。「本当に自分が(競技を)続けたいのかどうか。楽しむ気持ちでスポーツと向き合う時間をつくり、気持ちが戻ってくるのを待った」と振り返る。
 今年4月のアジア選手権、5月の世界シリーズ横浜大会に出場し、ポイントを得た。「1年前より状態が良く、選考レースを勝ち残れた。自分ができる限りの準備ができた」と分析する。コロナ禍の行方はまだ見通せないものの、「大会がどんな形になっても、ベストを尽くすのみ。選手たちの姿を見て、何かを感じてもらえたらうれしい」と話す。
 東京大会を契機とした障害者スポーツの発展も自らの使命と心得る。谷選手が理想とするのは、パラリンピックで最も成功したとされる12年のロンドン大会。「(招致成功からの)8年で、パラスポーツはいい方向に向かっている。特に選手の競技環境は格段に良くなった。これで終わりではなく、さらに浸透していくように発信していきたい」。その目は既に大会後を見通している。

 ◇谷真海の略歴
 谷 真海(たに・まみ) 旧姓佐藤。サントリー所属。早大在学中に骨肉腫を発症し、2002年に右脚の膝から下を切断。陸上走り幅跳びで04年アテネ大会から3大会連続でパラリンピックに出場し、結婚と出産を経て16年にトライアスロンに転向した。13年のIOC総会ではスピーチを行い、東京大会の招致に貢献した。宮城県気仙沼市出身。39歳。