2022-02-18 07:17

先輩追って歴史刻む=高木美選手、悲願の金〔五輪・スピードスケート〕

 スピードスケート女子の高木美帆選手(日体大職)が1000メートルを制し、五輪の個人種目では初めてとなる金メダルを獲得して、ついに悲願を達成した。「この五輪は苦しい中で始まったが、最後に自分の全てを出し切ることができた」と喜んだ。
 2010年バンクーバー五輪。女子団体追い抜きで2位となり、メダリストに輝いた小平奈緒選手(相沢病院)の隣で、三つの銀メダルを首から下げた高木美選手がいた。
 当時15歳。団体追い抜きのメンバーに入りながら、レースには出場できなかったためにもらえなかったメダルを「お姉さん」たちから借り、五輪の醍醐味(だいごみ)を体験させてもらった立場だった。
 小平選手は09年の全日本距離別選手権で500メートル、1000メートル、1500メートルの3種目を制し、女子のエース格として23歳でバンクーバー五輪に臨んだ。1000メートルでは、自身が日本勢最上位の5位だったのに対し、15歳は35位。はるか先を走っていた。
 14年ソチ五輪の代表落選をバネに自身を磨き続けた高木美選手は、日本の中長距離界をリードする存在に。1000メートルは短距離型の偉大な先輩と同じ組で滑ることが恒例になり、大会の見どころの一つになっていく。「スプリントは奈緒さんが盛り上げている。負けじと食らい付きたい」。ひたむきに努力を重ね、そう言えるようにもなった。
 昨年末の北京五輪代表選考競技会後。35歳になった小平選手は、頼もしい後輩を「ともに世界を渡り歩いてきて、本当にここまで大きく成長してくれた」と評し、温かい視線を送った。
 トップを目指した27歳の高木美選手は北京五輪の日本選手団主将を務め、今大会4個目のメダルを獲得。18年平昌五輪と合わせて七つとなり、夏冬を通じて日本女子最多を更新した。「小平選手より速く滑りたい」という対抗心がなければ、歴史的なメダリストは生まれなかった。