2021-03-04 14:30

「復興五輪」へ募る思い=福島県スポーツ関係者に聞く―東日本大震災10年

 東日本大震災発生の2年半後の2013年9月に開催が決まった東京五輪・パラリンピックは、震災からの復興が開催意義の一つとされてきた。新型コロナウイルスの影響による1年延期で震災10年という節目の年に開催することになった「復興五輪」を、被災地はどんな思いで見詰めているのか。福島県にスポーツ関係者を訪ねた。
 ◇復興のシンボルに―Jヴィレッジ
 25日開始予定の五輪聖火リレーで、スタート地点となるJヴィレッジ(楢葉町、広野町)。副社長で元サッカー日本女子代表監督の上田栄治さん(67)は「福島の今を伝えるまたとない機会」と心待ちにする。
 1997年の開設以来、日本代表合宿などで活用されてきた「サッカーの聖地」だが、震災後は福島第1原発事故の対応拠点が置かれた。13年7月に赴任した上田さんは、大切な天然芝のピッチが砂利の駐車場に一変していたことに落胆したものの、東京五輪開催が決まると機運が変わり始めたことを覚えている。「19年にはここを復旧させよう、ラグビー・ワールドカップが19年にあるからそれより前だ、と計画ができた。希望が出てきた」。五輪が18年7月28日の営業再開へのエネルギーになったと実感する。
 Jヴィレッジを発着点に開催されたハーフマラソン大会で、沿道で応援していた地元女性の会話が印象に残っている。「いつも皆さんに『頑張れ』と言われていたのが、ようやく自分たちが『頑張れ』と言えるようになったね、と。スポーツはこういう側面もあるんだと思った」。福島では復興が進む一方、原発事故の影響でいまだ住民帰還のめどが立たない場所も広範囲にある。上田さんは「私はふるさとに帰れるようになって『復興』だと思う。ただ、ここまで回復できたということはぜひ発信して、感謝を伝えられれば」と願う。
 2月13日には、東日本大震災の余震とみられる最大震度6強の地震が再び福島県を襲った。幸いにもJヴィレッジの施設に大きな被害はなかった。19年に日本サッカー協会から出向した専務取締役の鶴本久也さん(53)は、あまり動揺を見せない地域の人々に「10年前を経験している人の強さ」を改めて感じた。
 事業を再開できたものの、原発事故で生じた世間のイメージの払拭(ふっしょく)に苦労してきた。全天候型練習場やビジネス需要にも対応できる宿泊施設を整えるなど営業努力を重ねているが、最近は震災を学ぶ場として修学旅行や研修旅行の目的地としての需要も呼び込む。「単純にサッカーをする施設ではない。僕は地元出身じゃないからなおさら思うのかもしれないが、10年かけてここまできたことを伝えないといけない」。震災を風化させない取り組みも重視するようになった。
 1年前、コロナ感染拡大で聖火リレー開始2日前に五輪の1年延期が決定した。2年越しの晴れ舞台を前に、鶴本さんは「われわれは福島復興のシンボルとしての使命を新しく担うことになった。10年という節目のタイミングなのも、ある意味でご縁。前を向いている姿をお伝えしたい」と期待を込める。