2021-02-17 21:24

窮地で指名「五輪の申し子」=実績誇る橋本氏

 橋本聖子氏は1964年東京五輪の開会式5日前に誕生し、その名は聖火にちなんで付けられた。選手として夏冬合わせて五輪出場7度。競技者、さらにはスポーツ界のリーダーとして実績を重ね、「五輪の申し子」と呼ばれる。
 3歳で始めたスピードスケートでトップ選手となり、冬季五輪に4度出場。92年アルベールビル大会では悲願のメダルに輝いた。スケートの強化で取り組んだ自転車でも非凡な才能を示し、国内トップ選手となって夏の五輪も3度経験した。
 二足のわらじを履いたのは競技だけではない。95年の参院選で初当選。国会議員となって競技を続け、翌年のアトランタ五輪代表を勝ち取った。
 引退後は日本スケート連盟会長、日本オリンピック委員会(JOC)副会長など要職を歴任。2020年東京五輪の招致にも携わった。JOC関係者は「五輪に強い思いを持ち、スポーツ界で十分な実績を積んできた方。人柄も実直」と評価する。
 ただ、組織委のトップとして懸念材料も。14年にはフィギュアスケートの高橋大輔選手にキスを強要したと報じられた。
 それでも、森会長の女性蔑視発言で失墜したイメージを回復するため、女性活躍担当相も兼任した橋本氏は適任との声が後押しした。スケートで橋本氏を育てた富士急監督の長田照正氏は「仮に(就任要請を)受けたら、逃げたりしない子だから、全力でやってくれると思う」と期待する。