2022-01-08 05:23
金メダルへ「根拠ある自信になる」=小林陵たたえる船木選手―スキー・ジャンプ
ノルディックスキーのジャンプ週間で小林陵侑(土屋ホーム)が3季ぶり2度目の総合優勝を果たした。1997〜98年シーズンに総合優勝し、46歳の今も現役の船木和喜選手(フィット)がインタビューに応じ、小林陵の快挙について語った。ジャンプ週間王者の自信を胸に、直後の長野五輪で金メダルに輝いた自身の経験を踏まえ、北京五輪に臨む小林陵に対する期待感を口にした。
◇
五輪に向けては結構いい傾向じゃないですかね。去年と違ってかなり高いレベルで安定し、同じような飛び方ができているんですよ。なかなかできないことですけど、以前の高梨沙羅(クラレ)がずっと勝っていた(時と同じ)ような状況ですよね。どんな条件、どんなゲート設定でも同じ形で飛べるのは強みになると思います。陵侑のようにずっとトップを行っている人間が近くにいることで、佐藤(幸椰=雪印メグミルク)君とかもけん引されて成績が上がってきていますから、いい傾向ですよね。
(ジャンプ週間の総合優勝は)根拠のある自信になるわけじゃないですか。気持ちの安定がありますよね。同じことを繰り返すだけでメダルが取れる(と感じられる)のはすごく大きな武器になりますから。(長野五輪前に総合優勝した)あの時の僕は世界ランク1位ではなかった。追い掛ける方だったんですけど、ジャンプ週間(のタイトル)を取ったメンバーから必ずメダリストが出ているというデータがあったので、すごく自信になっていたんですよ。メダルが取れる位置だっていう根拠ですね。
(欧州の各国は)とにかく層が厚い中で(五輪代表の座を)勝ち取っていかないといけない。(重圧から)解放されて調整を2月に合わせるところで、いきなり強くなったりするんですよ。調整の仕方がすごく重要になる。(小林陵が金メダルを)取れる材料はもうありますから、どういうふうに調整するか。一つの試合として考えていければ、同じジャンプができると思います。ただ、人生を懸けてくる他国の選手の調整がうまくいくと、すごく接戦になると思います。(談)
◇船木和喜のプロフィル
船木 和喜(ふなき・かずよし) 北海道出身の46歳。ジャンプは10歳から取り組み、19歳でワールドカップ(W杯)初優勝。通算15勝は小林陵侑、葛西紀明(ともに土屋ホーム)に次ぐ日本人歴代3位。1998年長野五輪でラージヒルの個人と団体で金メダルを獲得し、個人ノーマルヒルも銀メダル。99年世界選手権個人ノーマルヒルでも金メダルに輝いた。欧州伝統のジャンプ週間では97〜98年シーズンに4戦中3勝し、日本人初の総合優勝を果たした。現在は株式会社フィットの代表取締役を務めながら現役選手として活動している。
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五輪に向けては結構いい傾向じゃないですかね。去年と違ってかなり高いレベルで安定し、同じような飛び方ができているんですよ。なかなかできないことですけど、以前の高梨沙羅(クラレ)がずっと勝っていた(時と同じ)ような状況ですよね。どんな条件、どんなゲート設定でも同じ形で飛べるのは強みになると思います。陵侑のようにずっとトップを行っている人間が近くにいることで、佐藤(幸椰=雪印メグミルク)君とかもけん引されて成績が上がってきていますから、いい傾向ですよね。
(ジャンプ週間の総合優勝は)根拠のある自信になるわけじゃないですか。気持ちの安定がありますよね。同じことを繰り返すだけでメダルが取れる(と感じられる)のはすごく大きな武器になりますから。(長野五輪前に総合優勝した)あの時の僕は世界ランク1位ではなかった。追い掛ける方だったんですけど、ジャンプ週間(のタイトル)を取ったメンバーから必ずメダリストが出ているというデータがあったので、すごく自信になっていたんですよ。メダルが取れる位置だっていう根拠ですね。
(欧州の各国は)とにかく層が厚い中で(五輪代表の座を)勝ち取っていかないといけない。(重圧から)解放されて調整を2月に合わせるところで、いきなり強くなったりするんですよ。調整の仕方がすごく重要になる。(小林陵が金メダルを)取れる材料はもうありますから、どういうふうに調整するか。一つの試合として考えていければ、同じジャンプができると思います。ただ、人生を懸けてくる他国の選手の調整がうまくいくと、すごく接戦になると思います。(談)
◇船木和喜のプロフィル
船木 和喜(ふなき・かずよし) 北海道出身の46歳。ジャンプは10歳から取り組み、19歳でワールドカップ(W杯)初優勝。通算15勝は小林陵侑、葛西紀明(ともに土屋ホーム)に次ぐ日本人歴代3位。1998年長野五輪でラージヒルの個人と団体で金メダルを獲得し、個人ノーマルヒルも銀メダル。99年世界選手権個人ノーマルヒルでも金メダルに輝いた。欧州伝統のジャンプ週間では97〜98年シーズンに4戦中3勝し、日本人初の総合優勝を果たした。現在は株式会社フィットの代表取締役を務めながら現役選手として活動している。