2021-09-19 07:25

五輪精神、体現できたか=無観客で交流機会限られ―オリパラを問う

 東京五輪・パラリンピックで異例の開催を強く印象付けたのが、コロナ禍による無観客の運営だった。「学校連携観戦プログラム」に参加した児童生徒の入場がわずかにあった以外、国内外の一般客が会場に足を運び、選手の躍動を直接目にする機会はなし。参加者の行動も厳しく制限された。世界の人々が一堂に会して相互理解を深め、平和への貢献を重視してきた五輪精神を、十分に体現した大会と言えるのだろうか。
 日本オリンピック委員会(JOC)元事務局長の笠原一也氏は「オリンピックではないオリンピックを開催してしまった」と断じる。1998年長野五輪に携わった経験も踏まえ、五輪の価値とは「異文化交流があってこそ」。そこが軽視されては、存在意義が揺らぎかねないと懸念した。
 コロナに対応した「バブル」方式の運営に関し、国際オリンピック委員会(IOC)の広報部長は「パラレルワールド(別の世界)に住んでいる」と象徴的なコメントを残した。笠原氏の目には、政治家が主導し過ぎた東京大会は五輪精神の尊重をおろそかにしたと映る。「延期を決める時、五輪はどうあるべきかという議論を深める必要があったのではないか」
 五輪研究で著名な真田久・筑波大特命教授の見方は異なる。「パンデミックという状況の中でのギリギリの選択」と無観客開催に理解を示し、長い目で見れば一定の交流機会はあったと強調する。
 大会中の対面交流は困難だった。だが、世界各国と全国のホストタウンとの交流は東京大会開催が決まった2013年以降長く続いているものもある。真田氏は「実は五輪史上最大の市民交流」と指摘。人口約400人の鹿児島県三島村とギニアの関係を挙げ、「東京から遠い離島ですら関わっており、非常に意味のあるムーブメント」。東京都の公立学校を対象とした「オリパラ教育」の継続的な積み重ねも同様に評価する。
 ホストタウン交流については、次回の24年パリ五輪時も継続することが検討されているという。「大会を契機とした市民レベルの交流が、世界で根付く可能性を秘めている」。真田氏は東京大会の大きな遺産になり得るとの見解だ。