2021-09-16 07:22

肥大化五輪、身動き取れず=祭典強行の事情―オリパラを問う

 1964年以来、2度目の開催となった今夏の東京五輪・パラリンピック。新型コロナウイルスの影響で反対の世論が高まった中で行われた。来年2月には北京冬季五輪が迫る。新しい時代のオリパラの在り方とは。識者の話を交えて検証する。
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 コロナ禍で1年延期された東京五輪。感染拡大が収まらないまま、史上最多の33競技339種目に約1万1000人の選手が参加し開催された。男女平等や多様性を旗印に、実施種目を増やした大会は肥大化。日程を変えず、規模も縮小せず「強行」された裏には、ステークホルダー(利害関係者)の存在があった。
 1896年に始まった近代五輪。アマチュア選手のみが参加できたスポーツの祭典は1974年、国際オリンピック委員会(IOC)が五輪憲章からアマ規定を削除したことで変貌する。徹底した商業化で成功させた84年ロサンゼルス大会は大きな節目となった。
 IOCは放映権料やスポンサー収入を確保するため、プロ選手も参加する世界最高峰の大会として五輪をブランド化。人気のある競技を加えて規模を拡大し、開催都市は経済効果を見込んで巨額の公費を投入した。国際スポーツ文化論を専門とする早大教授の石井昌幸氏は「五輪は開催することで経済を刺激するドーピングとなり、国別対抗でメダルを争うことがナショナリズムと結び付いて支持された」と分析する。
 ただ、近年は膨らむ開催経費を懸念し、招致に乗り出す都市が減少。東京大会は予期せぬ感染症から延期を選択し、赤字は増大した。開催リスクの直撃を受けた。五輪の存続そのものに暗雲が漂い始め、IOCはコスト削減を掲げて危機を切り抜けようとしている。石井氏は「IOC、開催国の政府や財界、放映権を持つメディアの利害が絡み、誰も勝手に身動きが取れない状態になっている。だから東京五輪では日本の民意がどうなろうと、最初から中止の選択肢はなかった」と指摘。動きだしたら止まらないほど肥大化したイベントに、もはや大きな変革は難しいとみている。
 近代五輪を創設したクーベルタン男爵は、スポーツを通じた若者の教育や平和社会の建設、友好の促進を唱えた。日本オリンピック委員会(JOC)の元事務局長で、98年長野五輪に携わった笠原一也氏は「120年で曲がり角に来た。大会を縮小し、原点の理念をもう一度考えるべきだ」と主張する。次回24年大会のパリはクーベルタンの出身地。五輪の在り方を問い直す開催となる。