2021-08-30 11:27

「負の遺産」と戦う=薬物対策に執念、IOC前会長のロゲさん

 スポーツ界の巨大組織を束ねる権力者とは思えないほど、穏やかな人だった。死去したロゲさんは国際オリンピック委員会(IOC)会長を12年間務め、商業化してカネを生むイベントになった五輪の「負の遺産」と、静かに戦った。
 ロゲさんが会長に就任した2001年は開催地決定に絡む腐敗が水面下で進行。五輪の肥大化やドーピングの問題も深刻になっていた。
 就任後初の夏季大会となった04年アテネ五輪からIOCは薬物検査の検体を8年間保存し、将来的に進化した検査方法で違反が見つかった場合も処分できるようにした。アテネ五輪の8年後の再検査で、5人のメダリストが失格に。ドーピングとの戦いを第一義に掲げてきたロゲさんの執念は実った。
 肥大化抑制への改革では苦しんだ。夏季大会では参加選手が1万500人、競技数は28を上限と定めた。05年総会で実施競技を見直し、委員投票で野球とソフトボールを除外。ただ、同時に検討した新競技の追加は承認されず、五輪に新たな風を吹き込むという狙いは果たせなかった。
 13年には理事会投票でレスリングを20年五輪の中核競技から外し、内外の反発を浴びた。理事会はレスリングを追加競技候補に残して総会投票に委ね、結局は残留。五輪競技入りを目指してきた他の候補競技をそでにするばかりか、新たな競技も取り込めず、理念に逆行する形となった。
 ロンドン、ソチ両五輪は開催費用が当初予算から大幅に膨れ上がり、五輪の肥大化抑制への戦いは道半ばだった。13年9月、退任前最後の会見で「私は完璧主義者。全てにおいて、もっとよくできた」と、いつもの淡々とした口調で言った。
 対話路線と民主的運営。もう少し強権を振りかざしてもよかったという思いも残ったか。(ロンドン時事)

〔写真説明〕ジャック・ロゲ国際オリンピック委員会前会長(AFP時事)