2021-08-25 15:33
元Jリーガー、経験を糧に=車いすバスケの京谷ヘッドコーチ〔パラリンピック〕
車いすバスケットボールで男子日本代表のかじ取りを担うのが、昨年就任した京谷和幸ヘッドコーチ(50)。現役選手として過去4度のパラリンピックに出場し、その前にはJリーガーだった経歴を持つ。
北海道でサッカー少年として育った。地元の名門、室蘭大谷高でレベルアップし、3年続けて全国高校選手権に出場。日本リーグ(当時)の古河電工に進み、市原(現千葉)で前線の選手として1993年のJリーグ開幕を迎える。その年の11月、不慮の事故に遭った。
交通事故で脊髄を損傷し、車いすの生活に。関係者の誘いでバスケットと出会った。元プロサッカー選手として「最初は本気になれずにいた」が、国内トップチームの対戦を見て刺激を受ける。「これはスポーツ。サッカーと同じように輝ける舞台に立てるのでは」
味方との連動など、サッカーと共通する動きを習得し、持ち前の運動能力で「ボールを手で扱うのは簡単だった」。守備のスペシャリストとして大成し、2000年シドニー大会でパラリンピック初出場。藤本怜央(SUS)らの成長を見届け、12年ロンドン大会を最後に引退した。
指導者として重視するのはコミュニケーション。17年のU23世界選手権で若手をまとめ上げ、日本を4位に導いた。サッカー選手時代は、市原のコーチだった岡田武史さん(元日本代表監督)に指導を受けている。「選手をよく見ていて洞察力がすごかった。いろいろ怒られたが、そういう指導者像も参考にしている」
一気に注目を集めたJリーグ創成期を回想し、「最初は本当にサッカーを知っているファンがどれだけいたのかと思うが、そこから根強いサポーターになった人も多かった」。パラスポーツの魅力を伝える今大会。「興味本位でもいいからアスリートたちを見て、何かを感じてほしい」と願う。
北海道でサッカー少年として育った。地元の名門、室蘭大谷高でレベルアップし、3年続けて全国高校選手権に出場。日本リーグ(当時)の古河電工に進み、市原(現千葉)で前線の選手として1993年のJリーグ開幕を迎える。その年の11月、不慮の事故に遭った。
交通事故で脊髄を損傷し、車いすの生活に。関係者の誘いでバスケットと出会った。元プロサッカー選手として「最初は本気になれずにいた」が、国内トップチームの対戦を見て刺激を受ける。「これはスポーツ。サッカーと同じように輝ける舞台に立てるのでは」
味方との連動など、サッカーと共通する動きを習得し、持ち前の運動能力で「ボールを手で扱うのは簡単だった」。守備のスペシャリストとして大成し、2000年シドニー大会でパラリンピック初出場。藤本怜央(SUS)らの成長を見届け、12年ロンドン大会を最後に引退した。
指導者として重視するのはコミュニケーション。17年のU23世界選手権で若手をまとめ上げ、日本を4位に導いた。サッカー選手時代は、市原のコーチだった岡田武史さん(元日本代表監督)に指導を受けている。「選手をよく見ていて洞察力がすごかった。いろいろ怒られたが、そういう指導者像も参考にしている」
一気に注目を集めたJリーグ創成期を回想し、「最初は本当にサッカーを知っているファンがどれだけいたのかと思うが、そこから根強いサポーターになった人も多かった」。パラスポーツの魅力を伝える今大会。「興味本位でもいいからアスリートたちを見て、何かを感じてほしい」と願う。