2021-08-08 16:28
交錯した光と影=夢舞台、消えなかった意義―SNS中傷、負の遺産〔五輪〕
観衆のいない夜更けの国立競技場で、大坂なおみが静かに聖火をともした。過去の大会のような趣向を凝らした演出はない。祝祭感とは程遠い、異例で異様な「祭典」を象徴する開会式だった。
開幕直前、スポーツ界のとある幹部に会い、「本当にやっていいんですか」と率直に聞いた。彼は「反対する理由が分からない。誰かが(対立の構図を)仕組んでいる」と気色ばんだ。その帰路、反対派のデモの列に賛成派が罵声を浴びせる光景を目の当たりにして、気持ちがすさんだ。
前例のない1年延期の末に世論は割れたが、国際オリンピック委員会(IOC)は開催ありきの姿勢を変えなかった。IOCの収入の7割以上をテレビ放映権料が占める。中止の選択肢はなかった。菅義偉首相には政権浮揚や選挙に五輪を利用したい思惑が見え隠れした。開催、再延期、中止の判断基準は示されず、いつしか「復興五輪」「人類が新型コロナに打ち勝った証し」などのお題目も聞かれなくなった。
強引に観客を入れようとしてぎりぎりまで判断を先送りした揚げ句、開幕2週間前に一部の会場を除いてほぼ無観客と決まった。チケット当選者やボランティアら多くの人が振り回された。
もっとやりようがあったはずだ。意思決定の手順を明確にして早め早めに手を打っていれば、傷口はこれほど広がらずに済んだ。そんなドタバタの中、式典担当者が過去の不適切な言動で批判を浴び、相次いで去った。開幕前日までトラブルは続き、会期中に取り返しのつかないことが起きる悪い予感がした。
心配は尽きなかったが、始まればスポーツの力に心打たれた。メダリストは感染予防のため金、銀、銅の輝きを自らの手で首に掛け、周囲への感謝の言葉を口にした。ただ、競泳の北島康介が2004年アテネ五輪のレース直後、金メダルの喜びを爆発させた「チョー気持ちいい」などの名言は生まれなかった。今大会の選手たちの発言は概して控えめで、「自粛」しているかのようだった。
この大会をやって良かったと言えることは何か。自問すると、何人もの選手や監督らの顔が浮かんだ。目指してきた舞台が消えなかったことだけが、選手にとって唯一の意義ではなかったか。
そんな選手たちを、一部のインターネット交流サイト(SNS)ユーザーが中傷した。本来「オリンピアン」の呼称に誇りを持てるはずの彼らが、闇討ち同然の投稿に胸を痛めた。大会の誘致や開催に関わった安倍晋三前首相、菅首相、大会組織委員会の森喜朗前会長、IOCのバッハ会長ではなく、悪意の矛先が選手に向けられたことに、社会の深い闇を見た。この五輪が残した負のレガシー(遺産)にほかならない。
東京は感染症という不可抗力の脅威に右往左往し、「開催都市契約」といういわば不平等条約でIOCに首根っこを押さえ付けられた。世界はどう見ただろうか。五輪招致にこれほどのリスクが付きまとい、大きな赤字に陥るとなれば、ますます招致に乗り出す都市は減るだろう。東京大会の最大のレガシーは、五輪の意義や在り方を、私たちが考えるきっかけを与えてくれたことかもしれない。
IOCにも危機感がある。夏季五輪の開催地に24年はパリ、28年は米ロサンゼルスをセットで決めた。さらに10年以上先の32年にオーストラリアのブリスベンを「確保」した。30年の冬季五輪招致を目指す札幌は、東京から学んで軌道修正も検討するべきだろう。
緊急事態宣言下での強行開催という色濃い影と、選手が放った光が交錯した前代未聞の五輪が終わった。そして、人々はその余韻に浸る中、感染が急拡大している現実に引き戻されていく。(時事通信社運動部長・富澤高行)
〔写真説明〕強い雨が降る国立競技場=2日、東京都新宿区
〔写真説明〕開会式で聖火の最終点火者を務める大坂なおみ=7月23日、東京・国立競技場
開幕直前、スポーツ界のとある幹部に会い、「本当にやっていいんですか」と率直に聞いた。彼は「反対する理由が分からない。誰かが(対立の構図を)仕組んでいる」と気色ばんだ。その帰路、反対派のデモの列に賛成派が罵声を浴びせる光景を目の当たりにして、気持ちがすさんだ。
前例のない1年延期の末に世論は割れたが、国際オリンピック委員会(IOC)は開催ありきの姿勢を変えなかった。IOCの収入の7割以上をテレビ放映権料が占める。中止の選択肢はなかった。菅義偉首相には政権浮揚や選挙に五輪を利用したい思惑が見え隠れした。開催、再延期、中止の判断基準は示されず、いつしか「復興五輪」「人類が新型コロナに打ち勝った証し」などのお題目も聞かれなくなった。
強引に観客を入れようとしてぎりぎりまで判断を先送りした揚げ句、開幕2週間前に一部の会場を除いてほぼ無観客と決まった。チケット当選者やボランティアら多くの人が振り回された。
もっとやりようがあったはずだ。意思決定の手順を明確にして早め早めに手を打っていれば、傷口はこれほど広がらずに済んだ。そんなドタバタの中、式典担当者が過去の不適切な言動で批判を浴び、相次いで去った。開幕前日までトラブルは続き、会期中に取り返しのつかないことが起きる悪い予感がした。
心配は尽きなかったが、始まればスポーツの力に心打たれた。メダリストは感染予防のため金、銀、銅の輝きを自らの手で首に掛け、周囲への感謝の言葉を口にした。ただ、競泳の北島康介が2004年アテネ五輪のレース直後、金メダルの喜びを爆発させた「チョー気持ちいい」などの名言は生まれなかった。今大会の選手たちの発言は概して控えめで、「自粛」しているかのようだった。
この大会をやって良かったと言えることは何か。自問すると、何人もの選手や監督らの顔が浮かんだ。目指してきた舞台が消えなかったことだけが、選手にとって唯一の意義ではなかったか。
そんな選手たちを、一部のインターネット交流サイト(SNS)ユーザーが中傷した。本来「オリンピアン」の呼称に誇りを持てるはずの彼らが、闇討ち同然の投稿に胸を痛めた。大会の誘致や開催に関わった安倍晋三前首相、菅首相、大会組織委員会の森喜朗前会長、IOCのバッハ会長ではなく、悪意の矛先が選手に向けられたことに、社会の深い闇を見た。この五輪が残した負のレガシー(遺産)にほかならない。
東京は感染症という不可抗力の脅威に右往左往し、「開催都市契約」といういわば不平等条約でIOCに首根っこを押さえ付けられた。世界はどう見ただろうか。五輪招致にこれほどのリスクが付きまとい、大きな赤字に陥るとなれば、ますます招致に乗り出す都市は減るだろう。東京大会の最大のレガシーは、五輪の意義や在り方を、私たちが考えるきっかけを与えてくれたことかもしれない。
IOCにも危機感がある。夏季五輪の開催地に24年はパリ、28年は米ロサンゼルスをセットで決めた。さらに10年以上先の32年にオーストラリアのブリスベンを「確保」した。30年の冬季五輪招致を目指す札幌は、東京から学んで軌道修正も検討するべきだろう。
緊急事態宣言下での強行開催という色濃い影と、選手が放った光が交錯した前代未聞の五輪が終わった。そして、人々はその余韻に浸る中、感染が急拡大している現実に引き戻されていく。(時事通信社運動部長・富澤高行)
〔写真説明〕強い雨が降る国立競技場=2日、東京都新宿区
〔写真説明〕開会式で聖火の最終点火者を務める大坂なおみ=7月23日、東京・国立競技場