2022-02-01 19:36

「アスリートの心あった」=石原氏しのぶ五輪招致関係者

 石原慎太郎氏は東京都知事在任中、1964年以来となる東京五輪の招致に力を尽くした。リオデジャネイロに敗れた2016年大会の招致委員会で理事を務めた76年モントリオール五輪バレーボール女子金メダルの荒木田裕子さんは「スポーツをこよなく愛する人。アスリートマインドを持った方だった」と振り返った。
 思い出すのは16年大会開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会を目前にした09年秋。会場のあったコペンハーゲン市内で招致メンバーが極秘で集まり、英語でのプレゼンテーションの練習に励んでいた。
 石原氏は「俺は日本語でやる」などと言い出して周囲を困らせることもあったが、日がたつにつれて家族のような結束力が生まれた。その年の9月30日が77歳の誕生日。プレゼンの練習中に大きなケーキを運び、サプライズで祝福すると「『こんなふうに祝ってもらったのは初めてだよ』と、外には見せないおじいちゃんの顔になった」と荒木田さんは懐かしむ。
 最初の招致に失敗後、20年大会に再挑戦。「たいまつの火は消さない方がいい」と意欲を示すと、日本オリンピック委員会(JOC)副会長だった水野正人さんは「大変な表現力に感動した」。専務理事だった市原則之さんは「JOCがしっかりやれという気持ちを感じた」と言う。
 16年大会招致での反省から、各界の支持を取り付ける「オールジャパン体制」を構築した。市原さんは「石原さんなくして招致はできなかった。(昨夏の)五輪をどうご覧になっていたか。五輪が終わったという感じがする」と口にし、故人をしのんだ。