2021-09-21 07:08

オリパラ一体、盛り上がる?=五輪後に行う意味―オリパラを問う

 東京五輪閉幕後、2週間の準備期間を挟んで行われたパラリンピック。1964年に実施された前回も同じ順序で実施されたが、その後の夏季5大会は五輪と違う都市をめぐり、自治体の財政難から開幕直前で開催場所を一部変更せざるを得なかった例もあった。
 そんな黎明(れいめい)期を支えたのが、国際オリンピック委員会(IOC)だった。IOCは82年、国際パラリンピック委員会(IPC)の前身となった団体創設に関与。6年後のソウル大会で五輪直後に同じ場所で開催される形態を復活させ、2000年にはIPCとの協力関係を強化する合意書に調印した。定期的な資金援助のほか、五輪の後にパラを実施する枠組みが含まれた。
 この開催方式が東京パラでもメリットにつながった、と日本選手団の河合純一団長は考える。五輪が暑熱対策の問題点を明確にしたことなどを踏まえ、「運営面での改善など得られた部分は大変多かった」と評価した。
 例えば車いすテニスでは、試合進行を判断する暑さ指数をより厳しく設定し、障害により体温調整が難しい選手を守った。新型コロナウイルスへの対応規則集「プレーブック」の有効性を、先に行われた五輪で見極めることができた。
 選手の立場からは、五輪前に開くべきだと訴える声も。陸上走り幅跳び代表の山本篤(新日本住設)は、夏季で08年北京から4大会連続で代表を務めた経験者。自国開催は別格の反響があったと感じつつ、五輪の閉会式を機に「盛り上がった流れがしゅんと下がった」。会場設営などを最初から「パラ仕様」にすれば大会の移行期間も短くなり、より一体感を伴う機運醸成につながるという。
 IPCのパーソンズ会長は「パラリンピックを前座とは考えていない」と明言する。むしろ五輪閉会式を経るからこそ、人々の視聴欲求が喚起され「その恩恵を受けている」という考えだ。実際、開閉会式の演出などは「五輪より素晴らしかった」との評価もあった。
 IPCは成り立ちから従属的な立場で、パーソンズ会長自ら「最高のモデル」という現在の形は少なくとも32年まで続く。IOC頼みの体質から変えていく道筋を、考える時機が到来するかもしれない。