2021-09-17 07:12

平和の祭典、曲がり角=男女平等は「数合わせ」?―オリパラを問う

 「平和の祭典」と言われる五輪。その起源は約2800年前の古代オリンピックにまでさかのぼる。競技者や観客が開催地ギリシャのオリンピアとの間を安全に往来できるよう、戦争を休止した。この故事に倣い、国際オリンピック委員会(IOC)は1992年に「五輪休戦」を提唱。ユーゴスラビア紛争のさなかだった94年リレハンメル冬季大会で、近代五輪として初めて休戦の誓いが結ばれた。
 今夏の東京五輪は開幕1週間前の7月16日から五輪休戦の期間に入った。グテレス国連事務総長は「このつかの間の休息を足掛かりとして、永続的な休戦を確固たるものにし、持続的な平和への道を見いだすことができる」と呼び掛けた。
 だが、東京大会中もシリアやイエメン、ウクライナなど世界各地で紛争は継続。パラリンピックでは母国の政情不安からアフガニスタン選手が一時出場を断念する混乱もあった。冷厳な国際情勢の前に、現実は理想通りにはいかず、100年以上近代五輪が続いても戦火は一向にやまない。
 スポーツを通じた平和への貢献とともに、IOCが五輪改革の柱に掲げるのがジェンダー・イコーリティー(平等)。1896年の第1回アテネ五輪では、女性は参加できなかった。今夏の東京大会は1万人超の選手のほぼ半数が女性で、バッハIOC会長は「史上最もバランスが取れた大会」と自賛する。
 ところが、女子の競技人口が少なく、競技レベルが高くないにもかかわらず女子種目を増やした例もある。ジェンダー問題に長く取り組み、今年6月まで日本オリンピック委員会(JOC)理事を務めた山口香さんは苦言を呈する。「男子と(数を)並べるのがジェンダー・イコーリティーというのは、ちょっと違う。(男女で)体格や体形、好みも違うし、その人たちに合った形で最高のパフォーマンスをどう発揮させるのか、面白さが出るのかを考えないと」
 単なる数合わせではなく、性差を理解した上で競技のあるべき姿を考えてこそ、スポーツの魅力は最大限に引き出される。山口さんは「先に進まなければいけない」と意識改革を促す。人種を含めた差別意識の根絶や多様性の理解は、平和にもつながっていくはずだ。