鈴木修さん死去、94歳=スズキ相談役、軽自動車を普及
自動車メーカー、スズキの社長、会長を40年以上務めたカリスマ的経営者で、軽自動車の普及に尽力した同社相談役の鈴木修(すずき・おさむ)さんが25日午後3時53分、悪性リンパ腫のため浜松市の病院で死去した。94歳だった。岐阜県出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男俊宏(としひろ)氏。後日、お別れの会を開く。
中大法卒。銀行勤務を経て1958年、鈴木自動車工業(現スズキ)の2代目社長鈴木俊三氏の娘婿となり、同社に入社した。
78年に4代目社長に就任し、翌年発売した軽自動車「アルト」が低価格を武器に大ヒット。その後も「ワゴンR」などの人気車を出し、軽を庶民の足として定着させた。海外展開にも積極的で、インドに80年代からいち早く進出し、同国の乗用車市場で4割を超すシェアを獲得した。
「中小企業のおやじ」を自任し、コスト削減を徹底する一方、小型車「スイフト」などの世界戦略車で海外市場を開拓。浜松市の中小企業を世界的な自動車メーカーに成長させた。
2000年に会長に退いたが、08年から社長を兼務。15年6月、俊宏氏に社長を譲り、会長に再び専念した後も「生涯現役」にこだわり、後継の経営体制を指揮した。
09年には環境技術での協力を期待してドイツ自動車大手フォルクスワーゲンと資本・業務提携で合意したが、15年に解消した。新たな提携先探しに自ら奔走し、トヨタ自動車と業務提携の検討に入ることで16年10月に合意。24年10月にはスズキが開発した電気自動車(EV)をトヨタに供給することが決まるなど、両社の協力関係は深まっている。
会長兼社長だった10年から燃費試験データの測定方法で不正が行われていたことが、16年5月に発覚。最高経営責任者(CEO)職を返上した。18年には、製品出荷前の排ガス検査を不適切な計測で行っていたことが明るみに出て、自らの役員報酬を1年間ゼロとした。
21年2月に、会長職も退いて相談役に就任することを発表。経営の一線からは引いていた。
[時事通信社]
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