街を貫く「平和の軸線」=復興、施設整備に影響―丹下氏設計・広島原爆忌
今年の平和宣言で触れられた「平和の軸線」には、平和記念資料館(原爆資料館)と死没者慰霊碑、川を挟んで原爆ドームが直線上に並んでいる。広島市中心部を南北に貫く軸線は世界的建築家、故丹下健三氏のアイデアで、平和記念公園外の施設にも反映。戦後の復興期にとどまらず、現代の広島の街づくりにも色濃く根付いている。
現在、平和記念公園がある旧中島地区には繁華街が広がっていたが、原爆投下で一瞬にして焦土と化した。「75年間は草木も生えぬ」と言われたが、市は終戦翌年の1946年、公園などを設ける復興計画を策定。公募で集まった145点の設計案から丹下案が1等に選ばれた。
案では、東西に延びる大動脈「平和大通り」に直交する直線上に慰霊碑などを配置。全てを吹き抜けにして、原爆ドームを一望できるようにした。丹下氏は著書で、平和記念公園について「平和を創り出すための工場でありたい」と記した。
丹下作品に詳しい千葉大の豊川斎赫准教授(近現代建築)は、軸線を重視した街づくりは古今東西に例があるとしつつ、「『負の遺産』を結び付けたところが他と違う」と指摘。「生きている人が(ドームに)向き合うことが広島にとっての価値だと表現した」と語る。
しかし、復興は順調には進まなかった。原爆投下による人口減と産業の壊滅により、市の税収は「それまでの8割減」(市都市計画課)に急落。そこで、広島市復興のために国からの財政支援などを可能にする特別法「広島平和記念都市建設法」が制定され、55年8月の原爆資料館完成で区切りを迎えた。石田芳文館長は「(特別法が)一つの契機となって丹下さんの設計、知恵が具現化した」と話す。
軸線は現在のまちにも息づく。原爆ドームの真北約500メートルには今年2月、約2万8000人を収容する新サッカースタジアムがオープン。今月1日には隣接の広場が全面開業し、市民らでにぎわう。約4キロ南の臨海部には、南北に貫通するガラスの吹き抜けが特徴的なごみ処理施設、市環境局中工場がある。映画「ドライブ・マイ・カー」のロケ地にもなった建物は丹下氏の弟子、谷口吉生氏(86)の設計で、事務所によると吹き抜けは軸線を意識したデザインという。
豊川准教授はこれらの施設について、「丹下さんが引いた軸線に寄り添って、韻を踏むようにいろいろなことがひも付いてくる。他の街にはない広島らしさがあって面白い」と語った。
[時事通信社]
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