命燃え尽きるまで指導の父=思い背負うも、メダル届かず―斉藤選手・柔道〔五輪〕
子どもの頃は父の姿におびえ、柔道が嫌いだった。男子100キロ超級、斉藤立選手(22)=JESグループ=は、2015年に54歳で亡くなった父仁さんの厳しい指導で基礎を磨いた。命の限り成長を見届けた父の思いを背負って挑んだパリだったが、メダルにあと一歩届かなかった。
3位決定戦は腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫し、勝負が決まってもあおむけのまましばらく天井を見詰めた。首をかしげ、うつむきながら畳を後にした。
柔道用の畳に入れ替えた自宅の和室が、父子の特訓場だった。斉藤選手は小学3年になった頃から本格的に仁さんの指導を受け、通っていた道場から帰宅後も2~3時間、汗を流した。
足の動きも「ミリ」単位の正確さを求められ、少しでもずれれば怒号が飛んだ。仁さんは妻の三恵子さん(59)に「代表選手に教えるのと同じことをやらせている。小3でそれができるのは、こいつぐらいだ」と話していた。厳しさの裏に、息子への期待があった。
旅行先のホテル、順番待ちのレストラン前、駅のコンコース―。稽古はいつでもどこでも行われた。「思い付いたら『やれ』。そこから細かい指導が始まる」と三恵子さんは言う。
斉藤選手は小6の全国大会で優勝を果たしたが、柔道を嫌いになっていた。中学に上がっても稽古に身が入らない日々。そんな中、仁さんはがんに侵された。それでも死の直前まで、病室のベッドで横になりながら技を教え続けた。
斉藤選手の柔道への姿勢が一変したのは、仁さんが亡くなった1カ月後。「本当に悲しくなり、自覚、やる気が出てきました。そして、真剣に柔道に向き合いました」。中学の卒業文集で、父を失った実感が湧き、心境が変化したことをつづっていた。
進学先は父と同じ国士舘高・大。大学3年の時、父も制した全日本選手権で優勝し、一つ肩を並べた。試合前に首を回すしぐさ、体の柔らかさは「そっくり」(三恵子さん)だが、身長191センチ、体重160キロを超える体格は五輪連覇を果たした父よりも一回り大きくなった。
「父との稽古が自分の原点」と斉藤選手。父はいつも、心の中にいる。
[時事通信社]
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