背中押した「父の財産」=斉藤立、重圧も誇りに―柔道〔五輪〕
男子100キロ超級の斉藤立選手(22)=JESグループ=は2015年に亡くなった父、仁さんの五輪で戦う映像が昔から好きだった。子供の頃の憧れは「相手を根こそぎ倒していた」全盛期の1984年ロサンゼルス五輪の姿。五輪代表になった今、よく見るのは88年ソウル五輪だ。けがを抱えながら気迫を前面に、連覇を果たした姿を目に焼き付ける。
中学1年の時に父は死去した。病床で掛けられた「稽古に行け」との最後の言葉にも「嫌やな」と当時は心に響かなかった。柔道に打ち込むようになってからも「斉藤仁の息子」という肩書は「ものすごくきつかった。こんなのやめといてくれ」と重荷だった。だが、20歳で全日本選手権を制して世界の舞台へ。孤独を感じながら苦しむ自分の背中を押してくれたのは、父を愛した周囲の人々だった。
五輪代表だった父を鍛え上げた講道館の上村春樹館長(73)は斉藤選手を時々呼び、道着姿で指導してくれたこともあった。「柔よく剛を制す」ための重心の移動、手首の使い方、力の入れ方や抜き方。それは幼少時に父からたたき込まれた基礎そのものだった。父が息子に伝えられなかった五輪への厳しい覚悟も教わった。「負けたらあすはないと思え」
父が背中を追い続けた五輪金メダリストの山下泰裕さん(67)=現日本オリンピック委員会(JOC)会長=はある国際大会で引き手の使い方を教えてくれた。要職に就く立場上、助言をためらったという山下さんは「(仁さんの)『先輩、どんどん言ってくださいよ』という声が聞こえたんだ」と明かした。あふれそうになる涙をこらえながら「本当に俺は強くならないといけない」。斉藤選手は心の中で誓った。
10代の頃は周囲からの期待は重圧だった。だが、今では「それがお父さんの残してくれた一番の財産だと思っている」。父が監督を務めた08年北京五輪の石井慧以来、遠ざかる最重量級金メダルの希望を背負う22歳は今、プレッシャーを誇りに変え、胸を張って勝負の畳に上がる。 (時事)
[時事通信社]
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