重い歴史の扉開いた=92年ぶり、大きかった海外進出―馬術〔五輪〕
重い歴史の扉が開かれた。総合馬術の団体で日本が銅メダルを獲得した。馬術でのメダルは1932年ロサンゼルス五輪で「バロン西」こと西竹一中尉が金メダル獲得して以来。実に92年ぶり、2度目の快挙となった。チーム最年長、48歳の大岩は「欧州勢が強い競技。最初は上位争いをできるようになりたいというところから始まった。何十年もかけてここまでたどり着いた感覚がある」と涙を浮かべた。
馬場馬術、クロスカントリー、障害飛越の3種目で競う総合馬術。3人の成績による団体で日本は第2種目のクロスカントリーを大岩、戸本が減点なしで完走。3位につけ、メダルへ順調に進んでいた。
しかし、最終種目の競技前の馬体検査で1頭が通過できなかった。入れ替えを行ったため減点となり団体決勝は5位からのスタートに。そんな逆境にもめげずに3人はほぼ完璧に走行してメダル圏内へと順位を上げた。
馬術が初実施されたのは00年パリ五輪。始まりの地での歓喜だった。今でこそ男女の区別なく出場できるが、当初は軍人男性による限られた競技で、西中尉も軍人だった。
西中尉の金メダル以降は成績が残せなかった。国際レベルで戦うには島国という環境が壁になった。五輪の馬術は英国式で競技の中心は欧州。馬を伴う競技である以上、他の競技と比べて移動が簡単ではない。馬の輸送、その費用の問題、馬の検疫などがあり、国際競争力を養う舞台にたどり着くのが大変だった。十分な強化ができず、五輪では入賞が精いっぱいのまま時が流れていった。
そんな状況を変えたのが大岩だった。2001年から欧州を拠点に活動を始め、強い馬と巡り会う幸運もあり実績を残し始めた。周囲からは「ヨシ」と呼ばれ受け入れられ、ここから日本選手への見方が変わったという。
13年に東京五輪開催が決定。強化に本腰が入り、日本中央競馬会などの支援を得て多くの選手が海外を拠点に活動できるようになった。今大会で出場した4人は総合馬術が盛んな英国が活動拠点。周囲の支援、環境の変化が日本の馬術を強くした。 (時事)
[時事通信社]
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